ちょっとした余生

20代を全力疾走したせいで 今はちょっとした余生のよう

メガネとコンタクトと私。と、クレームを入れるのが苦手な人生

 

私は中学3年生の終わり頃、メガネとコンタクトの華々しい同時デビューを果たした。

受験シーズン真っ只中で授業も自習ばかりだった当時、選抜Ⅰで合格したためぼんやり日々の学校生活を過ごしていた私は、きっかけは忘れたが眼科へ行くことになり、その日は数時間遅刻して登校することになっていた。

そして母付き添いのもと、眼科の待合室で女性週刊誌を読んでいた。

看護師さんに呼ばれ、視力測定をしてあらビックリ。全然見えねえのなんのって。

そのままコンタクトレンズの付け方講習が行われた。言われるがままになりながらも、視力低下の自覚もないままにコンタクトレンズ、大人の階段何段飛ばしなのって戸惑ってた。

意外とすんなりコンタクトは瞳に入り込み、看護師さんの「ちょっと周り見てごらん」の言葉に従ってぐるりと椅子ごと体を回した。

 

「なんこれ!!!めっっっちゃ綺麗~~~~!!!!!」

 

ここまで見えてないと思わなかった。つけた瞬間世界が変わった。これぞコンタクトレンズのCMです!みたいなセリフが脳内をよぎるなんて。

今の視力じゃメガネもないと無理ですよと言われて、隣にあるメガネ屋をハシゴすることになった。

メガネなんて母親がたまに買い替えるのに付き合ってたくらいで、まさか自分がつけることになるなんて。

割とどんなメガネでも無難に似合う顔の形をしてるらしく、すぐに決まり購入してもらった。

今思えば、メガネだけでなくコンタクトもその日に購入してくれる母の気遣いがすごい。私なら、毎日メガネでいいだろ?コンタクトがいいならそれなりに頼み方があるよなァ?とか言っちゃいそう。鬼母かよ。

今考えれば、母も早くから目が悪くメガネだったのと、その当時のコンタクト代はべらぼうに高かったそうなので、色んな意味で理解があっての購入だったのだと思う。遺伝かもって負い目もあったのかもな。

 

そしてメガネを持って登校。いきなりメガネで登場は恥ずかしくて、かけては行けなかった。

冒頭に書いた通り、内容は違えど毎時間自習なので授業と言う授業はない。

基本的に班単位で行動するクラスだったので、班のみんなで数学のプリントをいかに長距離飛べる紙飛行機にするか研究していた。

受験前に何してんだと思われるが、私の班のメンバー6人が全員特殊だったのだ。

私のクラスで選抜Ⅰで合格したのは2人だけで、私と男の子1人だった。その男の子が同じ班だった。

そして残りの男の子2人は頭が良すぎて別に今更勉強する必要がないというスーパー人間(2人とも立派なお仕事に就きました)、私を除く女の子2人は私学1本で受験したためすでに合格していた。

つまり、全員紙飛行機を作るくらいしかすることがなかったのだ。

一度、社会の先生に「お前ら自分が良けりゃそれでいいんか?」と不真面目な自習態度に喝を入れられたときも、反抗期真っ最中が故に「どう考えても関係なくね?そもそも今の時間に必死で勉強しないと落ちちゃうなら何しても落ちると思う」などとのたまう始末だった。

我ながら腹立たしい子供だった。私が先生なら教職を追われるとしても怒りそのままブン回してる。

 

そんな生活の中で、突如メガネを手に入れちゃった私。班の皆さんに、ちょっとかけてみますわ・・・と宣言して装着。黒板を見た。

 

「なんこれ!!!めっっっちゃ綺麗~~~~!!!!!」

 

2度目だがまたこのセリフが出てきてしまった。悪筆気味な先生が多かったのと一番後ろの席だったこともあり、こんなもんかと思っていたのに。全然違う、クリアさが。

 

これが私のメガネとコンタクトとの出会いだ。あの日から15年経とうとしている。

その後も、右目が乱視だけど乱視用レンズが全て合わないだとか、乱視が普通とは違う角度で出ているらしく、普通は横に歪むから目を細めればピントが合うけどキミのは縦に歪んでるからね~瞼は縦には閉じないでしょう?ってドヤ顔でどうにもならないことを眼科医に言われたりもした。利き目が左だからまぁ大丈夫って言われて終わったけど。

そんなこんなで今日まで普通のコンタクトレンズを使用し、メガネは常に持ち歩き用・家用・予備と3つ揃えるまでになった。

メガネなんだ~掛けさせて?と軽い気持ちで私のメガネをかけた瞬間「ギェッ?!」と奇声をあげて目をシパシパさせる人を何人も見てきた。

健康診断の眼底検査でコンタクトを外すために洗面台に案内され、メガネを持って来てないと伝えているのに外したらさっきの部屋来てくださいねとだけ言われて放置されたときは、「ひどい・・・ひどい・・・」と言いながら壁伝いに歩き、あまりの遅さに様子を見に戻ってきた技師が慌てて腕を引いてくれた。私はすっかり重度の近視になってしまったのだ。こんなに見えないんだから何らかの税金控除や助成を受けたい。

 

そんなわけで、特に大きなトラブルもなくコンタクト生活を送ってきたのに、昨日初めて不良品に出会った。

朝普通にノールックでコンタクトレンズを装着し身支度を整えて出社したところ、左目が痛痒くてかすんで見えた。これは汚れでもついたかな、と取り除くため外したら、縁が明らかに欠けていた。こんなの初めて見た。

毎朝ノールック作業だったので全く気にしたことがなかった。

検索すると、そのままつけるのはよろしくないらしく持ち歩きのメガネをかけて過ごした。

製品のHPによると不良品があればご連絡くださいとのことだったので帰宅後ロット番号を添えてカスタマーセンターへメールした。

そして今日、メールの返答があった。

ご迷惑おかけし誠に申し訳ございませんでしたから始まり、目の状態を選択する必要があったので痒みと違和感にチェックを入れたのでその心配、そしてメールでの連絡を希望にチェックを入れたが直接お電話で詳細を伺い対応したいとの内容だった。

丁寧すぎて既に申し訳ない。

 

仕事では役所やその他各所にも納得いかないことや理不尽なことがあれば噛みつき、なんでも理詰めで責めるのが大好きで、彼に「追い込みがマジで半端ない」とまで言われる瞬間湯沸かし器の私だが、どうもクレームというのに苦手意識がある。

カスタマーセンターの人が作ったわけじゃないからその人に怒るのもなんだか気が引けるし、自分だけがちょっと困った程度で文句言うほうが体力使ってもったいない気がしてしまう。なんだろう自分で言っててもわかるこの矛盾。とにかく私はコンタクトの縁が欠けてたからって湯は沸かないのだ。

ロット番号で製造管理されてるだろうから、気を付けてくんろ~という親切心しかないのだが、大手企業のサポートは手厚い。

早速お昼休みに電話がかかってきた。ひたすら平身低頭でこちらの申し訳なさがどんどん大きくなっていく。

かれこれ15年、2weekだとか1dayだとか種類は移り変わってきたけど、メーカーだけはずっと変えずに購入してきた。だからたった1枚欠けてたくらいで私は推し変しない

熱愛出ても推し変しないのと一緒だよ。だからもうそんな謝らないで。

 

最終的に、異常があれば眼科医へ行くことと、30枚入り1箱を送りますと言う話でまとまった。

これが何の因果か、ウソみたいな本当の話なんだけど、縁が欠けてたのって最後の1枚だったんだよね。ロット番号もゴミ箱から探し出した。もう忍びない。送らなくてもいいんだよ・・・

正直に言った、何なら電話の冒頭から言った。最後の一枚だったもんで(だから気にしないで)って。でも、1箱をバラして1枚だけお送りするわけにはいきませんので、1箱送らせていただきますって話だった。ここでかたくなに時間をかけても仕方ない、受け入れた。

そして、欠けたレンズが手元にあれば今後の為に、封筒を送るからレンズを入れて送って欲しいとのことだった。取っておいて良かった。

話を聞きながらデスクの引き出しをあけて干からびたレンズを見つめる。

私が出来るのはこのカピカピのレンズを送ることと、これからも変わらずこのメーカーのコンタクトレンズを使い続けることだ。

 

カスタマーセンターに連絡なんてしなきゃ良かったという罪悪感が残るほど私はクレームを入れるのが苦手だということも再確認できた。

今日も学びある1日を過ごせたと思う。

 
 

カラオケとヒプノシスマイクの推しが決まらない話

 

緊急事態宣言が解除されてからの休日。

この日は雨のためキャッチボールもできないのでひたすら北へ行くことにした。その前の休みも雨だったのでひたすら東へ車を走らせ、良い古着屋に巡り合うことができた。

目的もなく、車内から見えるものを読み上げたりくだらない話をするだけの時間。私は楽しいばかりだが、運転する彼はさぞお疲れのことだろうと思う。ペーパードライバーですまない。

 

週明けからの再開を宣言しているお店が大多数だが、すでに営業再開しているお店も多く、でもまだテイクアウトには車が列を作っていた。

結局どこでも食べれるラーメン屋でラーメンを食べて、折り返し、途中目にとまった気になるお店に入る。

家電量販店やニトリへ立ち寄ることも毎度のことながら忘れない。今回は寝室に置く洋服ダンスのすり合わせをした。言葉では伝えきれない部分を実物を見ることで明確にしていく。私は荷物が本当に多い。決してオシャレではないが休日と仕事ではっきり系統が違うので結構な衣装持ちだ。旅行へ行く時だって人の倍くらい荷物をこさえてしまう。ないと不安なのだ。(化粧ポーチ忘れたくせに何言ってんだか)

その点彼は修行僧かと思うくらい荷物が少ない。そんな彼に私の荷物が入りきるタンスなんか想像できまいよと思い、タンスの前で熱意をこめてプレゼンをした。

 

そうこうしていたら晩御飯時になったので、久々に回転寿司へ行くことにした。

緊急事態宣言中はどこもテイクアウトのみだったため、本当に久しぶりだ。店内は徹底した感染対策もしてあった。

二人でよく行くアウトレットも来週から営業再開、行く場所が限られるのも今週までだねなんて話をしながらお寿司をいただく。もちろん感染しないための対策や自粛の気持ちはまだまだ持っていないといけないということを大前提としての会話なんだけど。

 

私たちは月に1回以上カラオケへ行く。二人して歌うのが大好きなのだ。毎度フリータイムで歌いまくっている。

それなのにコロナでカラオケも営業自粛になり、我々は結構なフラストレーションが溜まっていた。車で音楽を流して口ずさんではカラオケ行きたいというばかりだった。

しかも、いつも行っているカラオケ(A店とする)がこの営業自粛期間に改装して店名が変わってしまい、なおかつHPを見る限り週明けになっても再開しなさそうなのだ。これは由々しき事態。

 

そろそろお会計かなという時に、スマホを触っていた彼が驚きの声を上げた。

「○○にあるカラオケ(B店)がA店の系列店に変わったらしい。しかも今日から営業再開だって。0時までだけど。」ここで二人は目を合わせた。続きは言わなくてもわかった。

今が20時だろうが営業時間短縮で0時までだろうが関係ない。今すぐ行こうぜ。

お会計を済ませて、B店へ急いだ。そんなに遠くはないんだけど、滅多に行く方向ではないので私はそこにカラオケがあることすら知らなかった。

B店は系列が変わったからか、綺麗に改装してあった。閉店ギリギリまで楽しむことを考えて3時間パックで入店。早速歌おう。

あれ、うちらって今まで何歌ってたっけ・・・?

戸惑った。お決まりの曲とかなかったっけ?自粛してたらすっかりいつものペースを忘れていた。3時間しかないのに。

 

結局、しばらくしてなんとかペースを取り戻して3時間楽しんだ。

最近彼はヒプノシスマイクの歌をよく歌う。

私がヒプノシスマイクを知ったのは、たまたまLINEMUSICの新曲から見つけて、ジャケ写にもキャラクターがいなかったのでまさか声優とは思わず単にラップ好きな自分の好みに反応し、DLして聴いていた。途中やたらとイケボが出てくるなとは思ってたけど。

少ししてから、私が中学時代から愛してやまないSOUL'd OUTDiggy-MO'ヒプノシスマイクの空却というキャラのソロ曲を作ったという話がTwitterのトレンドにあがり、それを見て初めて声優集団と私の聴いてるヒプノシスマイクが結びついた。いやはや私もとうとうここまで老いたか。年々こういった話に疎くなるのが辛い。

 

SOUL'd OUTはもちろん彼に布教済なので、すぐにこのコンテンツをオススメしたけど、そんなに興味を示してくれなかった。声優集団だしそりゃ男は興味持ちにくいよな、と思った。私はテニスの王子様鋼の錬金術師で声優にハマり、電王で再熱した過去がある。これは私1人で楽しもうと他の曲もひっそりと聴いたりしていた。

 

それがだ、しばらくして彼の車に乗っていると突然流れてきた。ヒプノシスマイクが。

私多分「ハァ????」って言ったと思う。

私が勧めた時はつれない素振り見せておいて、あとから自分1人でハマってやがる。こういうことは稀にあるのでみなまで言わず飲み込んだ。ハマったなら一緒に楽しもうぞ。

 

そう思っていたが今ではどうだ、いつの間にか彼の方が詳しくなっていた。仕事で残業三昧だったときにはドラマCDまで聞いたらしい。たぶん彼にとって初めてのドラマCDだったと思う。何が彼をそんなところまで掻き立てたのか・・・疲れか・・・?

 

アプリゲームも私がリリース日にDLし、その週末に見せたところ彼もすぐにDLし、やったことのない音ゲーに挑戦し始めた。欲しいキャラのSSRが出るまでリセマラまでしていた。

推しも決まっておらず、DD気味な私の無欲さが良かったのか、私の方が多くSSRが出ている状況である。涙拭けよ・・・

 

それから、我々はデートの最中でも突如1時間くらいお互い真剣にヒプノシスマイクのアプリゲームをこなしているときがある。まさに謎の時間。

そのアプリがこちら。私はポップンミュージック以来の音ゲー。久々にこの手のゲームをすると血が騒ぐ。もしやってる人がいれば友達になりましょう。

hypnosismicarb.com

 

 

今一番の楽しみは、アニメ化だ。7月からはじまるらしい。

物語でわかるキャラの個性を見てみたい。でなければ私は推しが決まりそうにない。クールな役にハマるんだろうか。

でも私テニプリで最初にハマったの菊丸英二だからな~そのあと真田弦一郎だったな~

漫画における自分の好みにはいまだに統一性がない。だから尚更アニメ化を楽しみに待っている。

推しが確定したらまたここで勝手に語りたいと思う。

 

 

 

私の水曜どうでしょうオススメ回をお伝えしたい

 

前回、水曜どうでしょうについて語るにあたって少し込み入った話をした。

ちなみに込み入った話はこちら。
yose1-yolo.hatenablog.com

 

今回は、予告した通り私の水曜どうでしょうオススメ回を紹介したい。

面白いんだという気持ちばかり先行して、まったく要領を得ない内容になっていると思う。Netflixにある回には目印(Netflixあり)をつけているので、加入している人はぜひチェックしてみてほしい。

ほぼネタバレなので、ネタバレせず見たいという人は、回れ右して全シリーズ見てきてくれ。

 

 

 

四国八十八カ所

Ⅲまであるがどれも面白いのでどこから見るべきということはない。(だいたいの回がそうなのだけれど)

まず前段階として「クイズ!試験に出るどうでしょう」という企画での罰ゲームがこの四国八十八カ所巡礼だった。

わずか3泊4日(74時間)という短時間での完全巡拝を敢行し、ロープウェイに乗れなかった21番・太龍寺と66番・雲辺寺、冬季通行止めの60番・横峰寺と20番・鶴林寺などを除きほぼ全部を巡拝した。このロケ中に大泉は体調を崩し、その後半年の間体調不良を抱えていたという(『試験に出る石川県・富山県』第1夜、『四国八十八ヵ所II』第1夜前枠および本編にてそれぞれ大泉本人が発言)。 (水曜どうでしょうの企画 (日本国内) - Wikipedia)

大泉洋はホテルで気管支炎に。君たちが選ぶホテルはおかしいんだとボヤく姿が申し訳ないがなんとも面白い。 

岩屋寺パン騒動直前、お寺巡りでお顔が穏やかになった大泉洋がしきりに発する「ありがたいな~」というセリフを私もつい真似してしまう。水曜どうでしょう見てると大泉洋藤村Dの口調がうつっちゃう。私だけだろうか。

水曜どうでしょうを知らないうちの彼ですら、私が言いすぎているので「ありがたいな~」が浸透してる。だから是非見て欲しいのに見てくれない。いつか絶対見せる。

 

 

四国八十八カ所Ⅱ

前回よりも1日増やした4泊5日となった。この回のみ巡礼が春先に行われており、再度ロープウェイの乗車を逃した66番・雲辺寺うどん屋へ立ち寄った影響で飛行機の時間が迫りパスをした88番・大窪寺を除いて巡拝を行った。使用したレンタカーはトヨタ・プリウスだが、44番・大宝寺から46番・浄瑠璃寺へ向かう途中、ショートカットで通った山道で左後輪が脱輪しパンクするアクシデントにも見舞われた。また、前回のロケで大泉が体調不良に陥った反省を踏まえ、今回はD陣から大泉のために「魔除け」の数珠を購入していたが、38番・金剛福寺の前後で紛失している。 (引用:水曜どうでしょうの企画 (日本国内) - Wikipedia)

数珠まで買ったのに紛失、それが意味することが何か嫌でもわかるほどハプニング満載だったのがこの四国八十八カ所Ⅱ。

前回は大泉洋とディレクター陣のみ、Ⅱではミスターこと鈴井さんがハワイで家族サービスの為またもや同じメンバーでのロケ。それによるぼやきが笑える。

 

 

四国八十八カ所Ⅲ

88番・大窪寺から回る『逆打ち』で巡礼を行い、大泉に加え、「試験に出る日本史」で不合格となった鈴井・安田も参加。使用されたレンタカーは「対決列島」同様、トヨタ・エスティマ(2代目)。

しかし、鈴井はラジオの生放送(『GO・I・S』)、安田は『情報ワイド 夕方Don!Don!』の1コーナー「サビカラ選手権」に出演するため、松山の宿で離脱し帰札。結果的に当時は『どうでしょう』の撮影以外にほとんどスケジュールが無く、出演者の中で「最もヒマ」な大泉のみが巡礼を続けることに(実際、大泉は鈴井・安田よりもスケジュールが3日間多く押さえられていた)。ただし、第2夜では当時大泉が不定期で出演していた『パパパパパフィー』を蹴って『どうでしょう』にスケジュールを割いたことに触れ、「PUFFYを蹴らないで!ちょっと考えたら分かるでしょ!」と怒りを露にした場面もある。その直後に訪れた50番・繁多寺から、TEAM NACSのリーダー・森崎博之が旅に参加した。理由としては「森崎が晴れ男である」ことも一因である。森崎本人は「食事を摂れば雨が止み晴天になる」と自称し、本編中では44番・大宝寺の巡拝から43番・明石寺に向かう途中、森崎が空腹から食事を要求したために昼食を済ませたが、実際に森崎の食事後は悪天候から晴天へと見事に変わっている。

冬季通行止めの60番・横峰寺ロープウェイに乗れなかった21番・太龍寺を除きほぼ巡拝。また、66番・雲辺寺は前2回ともロープウェイの時間が合わなかったために巡拝していなかったが、今回の旅で初めて訪れている。(引用:水曜どうでしょうの企画 (日本国内) - Wikipedia)

3度目の正直ということで、ミスター、そして安田顕が参加。しかしスケジュールの都合で、一番しんどい山中のお寺の厳しさを味わうことなく二人は帰ってしまう。

大泉洋、今回もぼやくぼやく。

そこで、チームナックスの森崎さんが登場。普段の水曜どうでしょうではなかなか見れない森崎さんと大泉洋・ディレクター陣の絡みが新鮮で、同じ寺を見るのは3度目だけど面白い。

ⅡとⅢでは、道中に大泉洋のマイケルジャクソンのモノマネを見ることができる。

少し前に、番宣で出たバラエティで同じモノマネを披露していて胸が熱くなった。これ、水曜どうでしょうでやってたんだよ・・・!って私の周りでは誰にも通じない思いで胸がいっぱいになった。

 

四国八十八カ所はとにかく何度見ても飽きない。私の人生が落ち着いてまだまだ歩けるぞ、くらいのおばさんになったら絶対に行きたいという目標にもなっている。

3泊4日とか、夜の天王寺高照院とか絶対やらないけど。

 

 

 

シェフ大泉 夏野菜スペシャル (Netflixあり)

シェフ大泉の企画は、夏野菜スペシャルの他に車内でクリスマスパーティーというものもあるが、私は夏野菜スペシャルをオススメしたい。 

「夏野菜を使った料理を振舞ってほしい」と大泉を計3回呼び出し、1度目は夏野菜を栽培するため荒地の開墾を、2度目は料理を盛り付けるための皿の制作を、3度目でようやく調理を行った。開墾から調理・試食までロケ日数が通算69日という「日本一長い料理番組」(企画放映時のタイトルに使われた一文)。「第1回どうでミー賞」名企画部門のシリーズ別集計において、放送回数は4回と少ないにもかかわらず、堂々の第1位に輝いている(第2位の「対決列島」は全10回である)。(引用:水曜どうでしょうの企画 (日本国内) - Wikipedia)

大泉洋が料理をするところは、他の旅でも多々見られる。とにかく時間がかかり、パスタは増えまくり、すごく辛い等のハプニングが毎回起こっている。

夏野菜スペシャルでは、初回から作る気満々で知り合いの料理人にパイ生地まで準備してもらいロケに臨むも、野菜を作るために開墾したり、料理に合った皿を作るために陶芸をしたりとなかなか料理までたどり着かず、その都度パイ生地をダメにしてしまう。

道中にパイ生地を無駄にした恨み節から始まる「どうも奥さん、知ってるでしょう?大泉洋で~ございま~す。おいパイ食わねえか~」というやり取りが爆笑必須なのでぜひ見ていただきたい。

 

 

 

72時間!原付東日本縦断ラリー

原付シリーズなるものがある。どれも見てほしいのだが、特に好きなのはこの72時間!原付東日本縦断ラリーだ。

放送時のタイトルは「原付東日本縦断ラリー」。東京〜札幌間を1日目の午前9時から4日目の午前9時までの72時間以内に走破する。『Classic』においては一部の局では放送されていない。

導入は鈴井が大泉・D陣・土井Pを東京銀座に連れて行き、「銀座でお買物をしよう」という「大泉だまし」。土井Pが「番組からのご褒美を鈴井にだけ買い与える」と話していたところに、大泉が自分の分もと食いついた。その後バイク店でスーパーカブ2台を購入中、持って帰る心配を始めた大泉に鈴井が「欲しいなら乗って帰りなさいよ」とけしかけ、半強制的に当企画に移行させた。なお、土井Pは随伴車のドライバーも担当している。

イムリミットが4日目の午前9時なのは、鈴井のラジオ生放送出演(4日目の午後5時)に間に合わせるため。なお、藤村Dの「勘違い」と称して76時間、さらには80時間(『GO・I・S』の番組開始時間)にまでタイムリミットが延長されたが、鈴井が自らの責任で72時間に戻した。ちなみに時間内に走破できなかった場合の罰ゲームは「四国八十八箇所巡礼」と決められたものの、この時間調整などもあって“時間内に”到着し、執行されなかった。(引用:水曜どうでしょうの企画 (日本国内) - Wikipedia)

 

絶対見て欲しいのが、だるま屋ウィリー事件と呼ばれるシーン。

ロケ2日目、大泉らが国道345号新潟県山北町(現:村上市)の勝木(がつぎ、国道7号との交点)まであと少しという地点を走行中に起きた事故。本件を放送した第4夜は第一回どうでミー賞の「名企画部門」で第一位を獲得した。なお、「だるま屋」とは大泉が高崎市に寄った際に購入し、後部の荷台に積んだだるまに由来する。

走行中、大泉らは工事による片側交互通行信号に遭遇したため2分強の待ち合わせをし、信号機が切り替わる5秒前から大泉がカウントダウンを行う。信号が「GO」の表示に切り替わると同時に鈴井は問題なくスタートしたものの、大泉がギアニュートラルに合わせていたためにスロットルを回したが前に進まず、焦ってスロットルを回したままギアを1速にしたところ、突如ウィリーしながら暴走し、目の前にあった「安全第一」のバリケード(実際にはその手前に置いてあった「→」(赤地に白文字)の案内板)に激突した。この間、信号は再び2分強の待ち時間表示に切り替わっていたため、鈴井のみが先行して進んでしまった。

事故直後、大泉は(失笑しながら)心配する藤村Dに対して「何がですか?」などと事故が無かったかのように白を切っていたが、藤村Dが深く追求すると「大丈夫じゃねぇよ! なまら(北海道弁で「とても」という意味)恐かったよ!!」「死ぬかと思ったよぉ!」と発した。また、先行した鈴井が心配しているのではないかと思い、合流するなり「心配したでしょう? 大丈夫ですよ」と言ったが「何してたの?」と全然心配しておらず、それどころか大泉の説明に対し「いいなぁ おいしいなぁ」「見せるもの、ビジュアル考えているもの」と羨ましがっていた。この際、鈴井に対して説明した「動かないから アレッと思って ギアいじったっけ ロー入っちゃって もうウィリーさ」という発言は名台詞のひとつとなった。また、大泉は「オレ あの『安全第一』なかったらヤバかったぜ」「(海に)突っ込んでたよ」と続けている。(引用:水曜どうでしょうの企画 (日本国内) - Wikipedia)

本当に危ない、危ないけど何事もなかったからもう笑うしかない。直後の大泉洋の動揺となまりっぷり、ディレクター陣のコメントと編集が面白い。

この事件以来、原付シリーズで片側交互通行信号に出くわすとこのだるま屋ウィリー事件が繰り返し語られる。もはや伝説扱い。

 

ちなみに、原付日本列島制覇だけはNetflixあり 

 

 

 

ユーコン160キロ (Netflixあり)

 

放送時のタイトルは「YUKON6DAYS~160kmカヌー地獄~」。前企画の「対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜」において、敗者チームとなった鈴井・大泉の「ミスターチーム」に対する罰ゲームとして実施された。その名の通りユーコン川カナダ領内)をカヌー川下りするだけの企画だが、罰ゲームとして選定された理由は「インドア派で、自然とはかけ離れた鈴井に対する罰ゲームであること」のほか、「藤村Dの憧れがユーコンをカヌーで下ること」だったため。このほかカナダ領内でロケが行われたことに関しては、藤村Dが「アメリカ領内で行うよりも費用が安い」ことに起因することを明かした。

藤村Dは事前情報で「川の流速は4km/h程度で穏やかな流れ」としていたが、現地到着後にユーコン川を見学した際には「(降雨で川が増水したこともあり)だいたい10km/h」と聞かされる。これに対し大泉は「もう早くも倍以上のスピード言ったぜ」と驚きを隠せない様子であった。カヌーは2人乗りで、主に大泉が前・鈴井が後を担当。D陣およびガイドの2人はモーターボートで並走し、藤村Dは首を痛めた大泉のピンチヒッターとしてカヌーを漕いでいる。主に担当の鈴井は、一度ずつ藤村Dと大泉に舵の役割を任せる場面もあったが、藤村Dは交信用トランシーバーを装着している間の操作がおざなりになり岸へ、大泉は不慣れなポジションで操作が上手く行かず目の前の流木群へそれぞれ衝突している。(引用:水曜どうでしょうの企画 (海外) - Wikipedia)

ちなみに、Wikipedia説明文の冒頭に書かれている、対決列島~甘いもの国盗り物語~もNetflixあり

とにかく蚊がすごいため、シャワーを浴びるのも一苦労。その際の大泉洋のとびきりワイルドな走りっぷりを見てほしい。

そして後半、ミスターこと鈴井さんを試合後のボクサー並に痛めつけたのも蚊である。

ユーコンでは世界ふしぎ発見のモノマネを大泉洋が一人でこなしている。これがまた上手い。

ガイドのピートが、料理を振る舞い ついでに粋な冗談を言う→大泉「ハハハ・・シャーラーップ!!!」と一喝するというお決まりのパターンが出来上がる。ピーター素直に「Sorry」とか言っちゃうのが可愛い。

 

 

ヨーロッパ20ヶ国完全制覇 完結編

このヨーロッパは以下の引用にもある通り、21ヶ国完全制覇とリベンジがあるが、私が好きなのはこの20ヶ国完全制覇 完結編だ。

1997年の『ヨーロッパ21ヵ国完全制覇』および1999年の『ヨーロッパ・リベンジ』において、時間上の制約から周り切れなかったバチカン市国サン・マリノポルトガルを周りきる企画。前2回で訪れていない国のうち、地理的に距離があるアイルランドは除外され、タイトルも「21ヵ国」から「20ヵ国」へと変更された。仮タイトルは「2007年新春スペシャル! 2006年最新作! 真冬に見る! 夏の思い出!」。

1997年の「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」の開始日から丁度9年が経過した2006年8月22日HTB前から出発。これまでの「ヨーロッパ」シリーズはフランス凱旋門前のロータリー交差点からのスタートであったが、バチカン市国への入国を果たすべくイタリアローマからのスタートとなった。バチカン市国への入国後、ローマでレンタカー(ルノー・ラグナIIワゴン MT車)を借りサン・マリノ、フランス・スペインを横断してポルトガルにあるユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指す。(引用:水曜どうでしょうの企画 (2003年以降) - Wikipedia)

 

当時大泉洋は「ハケンの品格」の撮影を控えていたため日焼けすることが出来なかった。そこで、現地でサンスクリーン剤を購入したところ、塗っても塗っても肌になじまず真っ白なまま。移動車のルームミラーにあえて入り込み運転する藤村Dを笑かしにかかったり、白壁の建物が並ぶ街で白塗りになった大泉・鈴井を探すというコーナーも設けられた。

この旅で行われた大泉洋のモノマネは、「小林製薬の糸ようじ」「いとこのみっちゃん」だ。このいとこのみっちゃんは当然誰も知らない人なんだが面白い。

みっちゃんは車を売りつけてくるんだが、HDDの言い方にクセがありすぎる「エッチデーデー」

口調のなまりっぷりがまだ見ぬいとこのみっちゃんを鮮明にしてくれる。大泉洋というのは本当に多彩な人だと感心するしかない。

 

 

まだまだ書き足りないのが本音なんだけど、全部書いてたら本当に文字起こしレポになっちゃうのでこのくらいで。面白さ伝わっただろうか・・・不安だ。

とにかく、見たことないって人は見てほしい!病気になった人間すら選んでしまう面白番組なんだ!そして健康でもしっかり笑えます。

 

私が新生活はじめて経済的にも余裕が出来た暁には、少しずつ水曜どうでしょうのDVDを集めようと思ってます。そして彼に見せてやる。

おーい、彼氏さん、知ってるでしょう、水曜どうでしょうで~ございま~す(パイ食わねえかのノリで)ってね。

 

 

 

水曜どうでしょうのOPで母が脅える理由

 

私は水曜どうでしょうが好きだ。

きっかけは多分、YouTubeでたまたま見たとかだと思う。

同じ回を繰り返し見たって笑えてしまう。

大泉洋のぼやき、時折あるクオリティの高いモノマネ、藤村D大泉洋の掛け合い罵り合い、鬼畜な企画を提案しがちなミスターが時にうって変わって辛い目に遭ってしまう展開、たまに出てくる安田顕(またの名をonちゃん)、嬉野さんは言葉数は少ないものの一言一言にユーモアが効いてる。どこを取っても面白いのが水曜どうでしょうの良さだ。

 

なぜそんな番組のOPで母が脅えるのか、それはトラウマにしてしまった私に責任がある。読む人によっては重い話になるかもしれないので注意してほしい。

 

私は数年前に高校卒業後から6年勤めた会社を辞めた。理由はブラックすぎて心身共に壊れてしまったからだ。

その会社を辞めるに至るまでには結構な時間を要した。なぜなら心身ともに壊れたことに気付かなかったからである。今思うと、いつから壊れていたのかすらわからない。

 

当時勤めていた会社はギリギリまで決まらないうえに短納期が常なので朝も夜も休みも平気で仕事になってしまう環境(定時に仕事持ってこられて深夜まで作業は当たり前)

データの処理や機械の操作、仕上げの手作業すべて1人でこなさなければならなかった。それなのに給料は今思うと笑えるほど少ない。昇給年1,000円。最初の数年は会社が傾いてたのでボーナスなし。ぶっちゃけ赤字で推し追っかけてた。

その反面、この俺様がどんな仕事でも納めてやってんだから好きにさせろよと、社内で1人金髪だったり毛先ピンクだったり奇抜なこともやっていた。ジャージにジーパンだったし。作業部屋では好きな曲流したり、LIVEDVD流したり。

そんな強気のスタンスが故なのか、会社での呼び名は「お嬢だった。笑える。

仕事のスケジュールを見て計画していたとは言えライブも行ける環境だった。自分で調整しているのが大前提とはいえ、好きにできている部分があるからこそなかなか自分の不調に気づけなかったのだと思う。自分の妙な器用さが仇となっていた。

 

いつだったか覚えていないけど、ある日突然、寝るのが怖くて寝れなくなった。スーパーおねんねベイビーは大人になっても健在で、帰ったらすぐ寝るし、休みの日もずっと寝ているのが幸せって人間だったのに。

活字中毒で、どんなに忙しくても毎月結構な量の本を読んでいたのに、まっすぐ文章が読めない。指でなぞりながら読もうとしても次の行にいけない。

帰宅して自分の部屋でひと息ついたときに、勝手に涙が出てきた。悲しいことなんてなにもないのに。

そして、朝会社へ行く準備はできているのに、体が動かない日があった。なんか行きたくない。自分はなんて怠け者なんだと思って自己嫌悪してしまう。準備したんだから行けばいいのに、行きたくない、行きたくないと思う自分が情けない。この負のループ。仕事は待ってくれないので、日中休んで夕方から会社へ行って朝方まで仕事してまた休むという謎シフトで仕事してた。やることはやっているのに、ダメな自分への自己嫌悪しかなかった。

 

Twitterはスタンダードなコンテンツになりはじめてすぐから使っていたけど、いつの間にか仕事の愚痴ばかり呟いていた。見てくれている友達は、ある意味私より早く私の異変に気づいていた。最初はよく見る軽い愚痴だったのだが、どうも常軌を逸していたらしい(恥ずかしすぎる)

いよいよ寝れなくなり、突然涙が出始めた頃、友達から病院に行ってみたらどうかと言われた。Twitterも様子がおかしいし、何かあるかもしれないと。

深く考えることもできなくなっていたので、すんなり病院に行こうと思えた。寝れないのが何のせいかわかるなら、助けて欲しいとすら思った。

 

仕事が落ち着いたタイミングで有給をとって心療内科へ行った。睡眠障害で調べるとそう出てきたからだった。風邪ひいたみたいなノリで、お薬なんか出してもらって、すんなり終わると思っていた。

先生がいる部屋へ案内されて、聞かれたことに答えていった。なぜか涙が出た。

悲しいとも苦しいとも思っていなかったが、涙が止まらなかった。これがプロの技か・・・

診断は、睡眠障害適応障害。原因は仕事のハードさと職場の人だった。

その分好き勝手やってんだからいいんだと思っていたけど、忙しさや私1人に任して帰る人々に、体はちゃんと拒否反応を出していたことに自分が気づけなかったらしい。

心の複雑骨折だと言われた。体も骨折したことないのに。

仕事をやめて環境を変えるのが一番の治療だと言われたものの、それは無理だとしか言えなかった。自分が仕事のせいで病気になったとわかってもそう言い切ってしまうところが、今思えば日本人って感じ。

ただ、治療の説明を受けて、薬局で薬を処方してもらってビルの外へ出た時、すごく気持ちが晴れていた。自分がおかしいのには理由があったんだ。なにも見えない霧のようなものがスッとなくなったような気持ちになっていた。それでも夜は眠れないんだけど。

 

帰りがけに、適応障害の本を買った。家に帰って読むと、これ私のこと書いてる?というほど内容が今の私そのものだった。

 あぁそうか、私病気になっちゃったかー。スッキリしたあとにズドンである。

母には、謝られた。自分でも怠けていると思っていたし、母もそう思っていたんだと思う。普段ふざけたことばかり言って底抜けに明るかった私がいつの間にか追い詰められたことを知って、心を痛めていた。とてつもなく申し訳なかった。

 

渡された紙に体重と睡眠時間を書いて、睡眠薬を飲んで横になる。翌朝は、鈍感になるお薬というのを飲んで、仕事へ行く。この鈍感になるお薬がすごい効く。いつもはイラッとして手が震えるようなことでも受け流せる。ただ16時になるとぴったり効果が切れる。定時まであと1時間半あるのに。すると途端に心が乱れて手が震える、Twitterで荒ぶる(笑)

 

わりとすぐに上司に病気のことを話すことにした。なーに恥ずかしいことではない。仕事のせいで病気になったんだから権利を主張しようじゃないの。病気になっても権利を勝ち取るスタンスは変わっていない。こんなんだから病気って気づかないんだよな、と自分でも思いながら会社のパソコンで病気についてのページを印刷しまくった。

そうして出来た厚めの資料を添えて上司に話したところ、首脳陣が集まってもう一度説明となった。小さい会社ってすぐこうなる。

その後、原因となった人が呼び出され、しばらくして戻ってきたその人に泣きながら謝られた。いや、違うだろ首脳陣。おじさん集団のため、お粗末な対処をされてしまった。

その人は、原因ともなったけど一番良くしてくれた人でもあった。嫌いではなかったし、お世話にもなった。だから病気に気づけなかったというのもあるけど。

ただ、謝られたらワシ治るのかよ?が本音だった。首脳陣にもご本人にもそんなことをして欲しかったわけではない。許せません、とは言えんだろ。言えるほど今強くない、と思った。

当初は会社に残る選択をしていたし、部署替えだとかいう話にもなっていたが、他にも???となる対処が続いたので、病気が悪化(笑)

会社を辞めるという結末になった。

 

 

水曜どうでしょうの話どこいった?って思うでしょう。

実は病院に行く少し前、推しも見る気になれない、本もまともに読めない、となったときに出会ったのが水曜どうでしょうだった。寝れないときも、朝準備しているときもiPad水曜どうでしょうを流していた。モヤがかかった脳内でも水曜どうでしょうの面白さは届いたのだ。

深く考えずに見れることと、誰も傷つかない笑い、これがとても心地よかった。

病気がわかってからも、いくつかのシリーズを繰り返し見ていた。何度見ても飽きずに笑えるからだ。

 

私の部屋は台所の横にある。台所を主戦場にしている母は、水曜どうでしょうを見ている私をよく目撃していた。

母がのちに言うには、iPadから大泉洋たちが笑っている声が聞こえるのに、私はそれを魂の抜けたような顔で見ていたらしい。その表情がトラウマになってしまったようで、病気が完治した後もたまに見たくなって見ているときに水曜どうでしょうのOPが聞こえると部屋にやってきて、「何か悩んでることある?」と聞いてくるようになった。

母なりに、あんなことになる前に早く解決してあげようと思って声をかけてくれるんだろうが、初めて聞かれたときはびっくりした。なんだ急に?と思った。

理由を言われて納得したし、申し訳ない気持ちが増した。子供が親にトラウマ植え付けるってなんて親不孝なんだろう。それと同時に、魂抜けた顔して見てる娘をそっとしておいてくれたことをありがたく思った。触れられないほど魂抜けてたのかもしれないけど。

 

でも、今はうるさいって言われるほど笑いながら何度も見たエピソード見ている。これが元気になった何よりの証拠だと思う。

環境を変えることが一番の治療ですと言われたのは間違いなく、ニートを1ヶ月もするとニートでいることに早速耐えられなくなり、二ヶ月になる頃には就活して今の会社に入社した。定時で終わるし、給料もボーナスも桁違いに上がった。

今の仕事と当時の仕事の収入を比べて6年間での損失を計算したら白目むきそうになった←

当時も今も、病気になったこと、病気だったことを隠さず堂々と生きてる。だって私のせいじゃないし、と思うから。強気のスタンスは健在。

 

ただ、当時の写真を見ると明らかに目がおかしいので恥ずかしい。当時はこの写真盛れたぜ〜とか思ってた。

あれだけTwitterで荒ぶって、目のおかしい私を遊びにつれ出してくれた友達、仕事を辞めると決めてから重たい体引きずって出勤する私に差し入れまで持って会社にきてくれた親友、言動のおかしい私に毎日連絡くれた友達、感謝してもしきれない。友達は量じゃない、質だ(友達少ない自分に言い聞かせてる)

ちなみに彼は当時の病気してる私も近くで見ている。よく付き合ってるよな、私なら怖くて敬遠する←

私は私で、地雷女だぞ☆って持ちネタにしてるし、彼は、鈍感なお薬飲めば?ってイジってくる。最高かよ。

 

今は全く悩みもなく、恵まれた環境で仕事もしているし、当時があったからこそ思うこともたくさんあって、今となってはそれもまた人生なんて思える。

ただ、薄給で生涯賃金下げたことだけは許せない。これからもっと稼いでやる・・・

 

そんなわけで、今日も母を脅えさせながら、水曜どうでしょうを見てます。

次回は、私の水曜どうでしょうオススメ回を紹介できればと思う。

 

 

 

 

 

水光肌とテカリの違いがわからないがスキンケアの大切さはやっとわかってきた

 

私も女なので、それなりの身だしなみをして社会人として生きている。

かといってガッツリメイクするかと言われれば、しない。

完全社内の事務仕事なので、会社の人にしか見られないのにわざわざ顔に重たいことしたくないのだ。それに毎朝化粧に凝ってる時間があるなら少しでも寝ていたい。

しかし学生時代には全校集会でぼんやり立っていると、先生に「具合悪いのか?保健室行くか?」と言われたことが何回もあるくらいの残念な青白さをお持ちなので、ベースメイクは欠かさず血色良くすることだけ心がけている。

しかしデートや現場となると話が変わってくる。これは学生時代からの習慣なのだが、ライブ前は入念なパックはもちろんのこと、抱かれるわけでもないのに全身の毛を処理し、清く、そして少しでも美しくありたいと準備する。推しに見られるからなんて高慢な考えを持っているわけではない、ライブ会場はいわばエゴが集まる戦場なのだ。

 

ちなみに普段ベースメイクしかしてない私が、仕事終わりに友達と会ったりデートする際はアイメイクまでするので、なんの邪魔もなく定時に上がることが出来るから普段と特別な日のメリハリは大切だと思う。普段も定時で上がるけど。

 

 

今まで特段肌の悩みがあったわけではなかった。幸いにもニキビに悩む青春時代でもなかったし、ちょっと鼻の毛穴気になるわん、くらいのものだった。

それがアラサーになってくると、否応がなく肌の問題がつきまとってくる。私の場合25歳から26歳にかけて未曾有の肌の治安の悪さだった。

吹き出物がいたるところに出来、何を塗っても改善しない。ニキビも出来なかった人生を送っていたので対処法もわからず途方に暮れた。しかし26歳を過ぎると吹き出物問題はキレイサッパリ消え去った。今思えばあれがお肌の曲がり角だったのだと思う。

吹き出物がなくなったと思ったら、突然シミが増え始めた。色が白いのでやたらと目立つ。聞くと母もシミが出るのが早かったそうで、遺伝であることがわかった。

色白で日に焼けにくい体質が故に日焼け止めの類を全く塗ってこなかったことと、そして何より喫煙がきっと大きな原因となっているのだろう。自業自得の極みすぎてこのシミへの怒りを誰にぶつけることもできない。

シミを隠すために日々のベースメイクにコンシーラーが必要になり、手数が増えたためその分私の睡眠時間が削られると思うと悔しくて仕方ない。

 

シミを消すにはレーザー治療が良いと聞く。だが結構なお値段がかかってくる。歯医者のくだりでも言ったが、推しがいるから自分にお金はかけたくない。

私に出来ることはなんだ、そうだ今からシミを増やさないことだ。

そこで、基礎化粧品を見直すことにした。私はやたらめったら塗って顔がベタベタするのが嫌で、化粧水・乳液のみのスキンケアだった。乾燥しようがしまいがさっぱりタイプ。

世の中のアラサーに限らず、若い子でも美容液だクリームだと塗りこんでいると知って驚いた。そう考えたら私の肌ってなんてタフネスで健気なの、とも思った。そしていつの間にか、こんなに健気な肌をもっと推してやるべきだという考えに変わっていった。

 

そして、今は グリコール酸ふき取り→ トナー→美容液→美容液→クリームという手厚いスキンケアになった。

 

週に何日かはパックまでしている。毎日する時期もあったが、美容液の一部を海外製のものに変えたところ、その美容液には併用NGの成分があるため、美容液の種類を使い分けて、パックは毎日ではなく週に何日か使用するように変更した。

そう、私ったら成分にまでこだわりだしたのだ。相変わらずハマったときの自分の行動力が怖い。

過去のブログでも書いたように英語がさっぱりわからないのに、欲しい美容液のためにいちいちGoogle翻訳に文字を入力して翻訳かけながら海外サイトで通販購入までしてしまった。

のちに、Googlechromeを使えば勝手にサイトごと翻訳してくれることを知って、初回の苦労はなんだったんだと落胆した。

 

トレチノインとハイドロキノンも購入して、1クール目で小さな薄いシミは撃退した。

 ユークロマ(ハイドロキノン)はAmazonにもあるがトレチノインはないためオオサカ堂で購入。 

濃いシミはもう1クールやってみなければと思うが、日差しが強くなってきたので一旦ストップ。

 

しまいにゃ飲み薬も。海外製が良いとは思うが万が一の副作用を考えると内服薬でそこまでリスキーなことはできないので、日本のもので割と評価の高かったトランシーノを愛飲。

これが昨年末から飲んでいるが、切らしてしまってしばらく放置してるとうっすら小さいシミが浮き出てきそうになるので、効き目があるんだと思う。それに気づいてからはAmazonでまとめ買いするようにしている。

【第3類医薬品】トランシーノ ホワイトCクリア 240錠

【第3類医薬品】トランシーノ ホワイトCクリア 240錠

  • 発売日: 2020/02/17
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

  

シミ以外では相変わらず、毛穴なくならんかなーという小さな悩みしかないので、手ごたえを感じるのはきっともっと時間が経ってからだと思うが、不調もないのでこのまま肌を推していこうと思う。推すと決めたらとことん推すのが私だ。

 

 

やっと本題に戻る。スキンケアで使用しているトナーとクリーム、一部美容液は同じメーカーのものを使っているが、さらにそこから出ているトーンアップクリームと日焼け止めを日々のベースメイクに使用している。肌に手をかけてやったからか、ノーファンデの日が多い。

このトーンアップクリームなんだが、インスタで見る感想の多くが、肌が内側から光る!という内容。所謂水光肌になるというもの。(私はだいたいの商品レポをTwitterかインスタで収集している)

 

「 水光肌 とは 」で検索したところ、説明から作り方まで記してあるサイトがいくつか存在した。

 

lovely-media.jp

 

韓国発祥のメイク法で、ムルグァンピブというらしい。

オルチャンメイクのWikipediaにも、水光肌についての言及があった。

 

確かに、韓国アイドルの顔はツヤツヤしているイメージだし、私が買っているスキンケア商品のプロデュ―スをしているMEGBABYもツヤツヤしている。

見る分には何にも思わない。でも実際に自分の顔がツヤツヤしていると違和感がすごい。

インスタのみんなが言う通り、トーンアップクリームによって私の肌も例にもれずツヤツヤと光っている。

鏡に映る自分に見覚えがある。これって油谷さんじゃない?(めちゃイケより)

知らない人は、油谷さんで検索したら出てくるから見てほしい。

 

化粧したての私は、朝イチなのに既にテカってるようにしか見えない。夕方になると、きっとあぶらとり紙くらいやんなさいよって思われてしまう。

何でおさえたって油はつかないし、勝手に光っちゃうだけなのに。

三者が見たら、私もちゃんと水光肌の人なんだろうか?

本当は写真を撮って載せたいところだが、朝はとにかく時間がないので撮影する暇がない。アラサーの私が最年少という勤務先で、これはテカテカですか?水光肌ですか?とも聞けない。友達に会って見てもらいたいが、STAYHOMEだ。

 

自分の顔が不意に見えたとき、油谷さんがよぎってくるから全然おしゃれ気分になれない。

スキンケアの大切さはわかってきたが、水光肌とテカリの違いがまだわからない。他にもこの手の話でわからないことは沢山ある。推しのことはなんでも答えられそうなのに。いくつになっても勉強が必要なんだな、と業務評価シートに書きそうなセリフが頭をよぎった。 

 

ちなみに今欲しいものは、推しのライブDVD(7/1発売)とナノケア(5万弱)だ。

推しが増えると出費がかさむ。給付金100万くらい欲しい。

 

 

8年ぶりの歯医者

 

日曜のお昼、海老ピラフを食べていたらガリって音がした。

アサリでも入っているならまだしも、海鮮は海老だけ。音がするものはない。

吐き出すと、銀の詰め物が出てきた。奥歯の詰め物だ。

 

 

遡ること8年前。奥歯のさらに奥が痛くてしょうがなかった。親知らずだ。そう確信して歯医者の門を叩いた。

小学1年生のときに前歯がなかなか抜けずに診療してもらって以来15年、歯科検診でも、キミ乳歯があるね~と笑われるだけで全く問題がないまま歯医者のお世話になることなく成人した。ちなみに乳歯が永久歯に生え変わらないというのは10人に1人の割合で起こることらしいのであまり珍しくはない。

 

そんなわけで決まったかかりつけの歯科医院もないので、当時勤めていた会社の1番近くにある歯医者へ向かった。親知らずかぁ、恐ろしい。

診察してもらうと、親知らずではなく歯肉が腫れていて奥歯に当たっているのが痛みの原因だったようで、歯肉を切ってもらう処置をしてもらった。親知らずではなかったことと、レントゲンで見る限り手術に難があると聞く横向きの親知らずにもなっておらず、まっすぐ生えて控えていることがわかり一安心していたら、先生は衝撃的な一言をお見舞いしてくれた。「それはそうと、虫歯が5本あるから治療しましょうね。」

そんなまさか、虫歯って痛いんじゃないの?21年生きてきて今更5本一気に???私は動揺した。

虫歯はキスでうつるという話を聞いたことがあった。該当する顔が思い浮かんだ。とんだとばっちりだが、他に理由がない。

その時、5本の虫歯治療に大金を払うことになり、歯医者独特の料金設定に泣きそうになった。そして白い詰め物にさらに高いお金を出すのが嫌で銀の詰め物をしたのだ。

推しがいなければ全財産自分にBETするが、私には推しがいるから自分の奥歯なんか銀でもいい、ギンギラギンにさりげなく奥の方で輝いていればいいと思った。

 

それが8年の時を経て1つ、取れたのだ。海老ピラフで。納得がいかないが、鏡で奥歯を見るとそれなりの穴が開いていた。こんなご時世に歯科医院、なんてタイミングなんだと思ったものの、詰め物が取れたら早く診てもらうべきという意見に従って翌日仕事の前に歯科医院の門を叩くことにした。時差出勤で良かった。

当時とは勤務場所が変わっていることと、前回通っていたところは予約マストだということもあり、また新たに歯科医院を現在の勤務地近くで検索する。個室、予約制ではないのでいつ行っても診てもらえる安心感、そして口コミの良さで1件に絞り、そこへ診療開始時間に1番乗りで受診した。

 

早速事情を説明して、歯科衛生士さんに診てもらう。この歯科医院には衛生士さんが沢山いるようで、各個室でそれぞれ衛生士さんが出来る処置をして、順番に先生が回ってくるシステムらしい。

レントゲンを撮ったり、下の歯の歯石を取ってもらったり、ブラシで磨いてもらったり、至れり尽くせりしてもらった後、衛生士さんに「麻酔はどうされますか?」と聞かれた。

私はこの後仕事に支障が出るようならしませんよ、という厚意での言葉かと思って「お願いします」と麻酔をお願いした。使ってもらって問題ないですよと。

するとしばらくして、明るそうな手練れの女性歯科医と助手が入って来て麻酔の準備を始めた。

そして三人で私の頭の周りを取り囲む。女性歯科医が優しく優しく声を掛けてくれた。

「最初にチクっとするんですけど、大丈夫ですからね~!どうしても痛かったら言ってくださいね!いきますよ~」助手が私の肩をさする。

アレ?これアレだな、痛みにすこぶる弱い人間励ますときのテンションだな?

ちなみに私は痛みに強いほうだ。小学生時代に入院した弟と面会するためにお尻にぶっとい注射を2発打つことになったときも、痛みで泣き叫ぶので外へ出ていてくださいと言われて付き添いの母が追い出されるほどの注射で私がちっとも泣かなかったため、医者に相当肝がすわっている、すごい大人になるぞと言わしめたくらい痛みに強い。

だから麻酔の針が歯茎を刺したところでピクリともならないのだが、女性歯科医はそんな私に「すごいですよ~!男性は結構この針でも痛がるんですよ~!もう少しですから頑張ってくださいね~!」と褒めながら励ましてくれた。

後から母や彼に聞いた話だと、今回の治療内容だと麻酔なしが通常らしい。私の歯科経験が浅すぎるあまり、軽率に麻酔をお願いしたら痛みに怯える女性として手厚い処置が施されてしまった。

 

詰め物が取れた歯は虫歯が少し出来ていて、削る必要があった。大事に持ってきた詰め物も使えず作り直し。レントゲンからその後ろの詰め物の下も虫歯があることがわかったので、次回治療しましょうということになった。

おいおい、通うことになっとるやんけ。わたし的には、コレ取れちゃいました→つけて元通りです。で終わる予定だったのに、まさかの治療。ショックだった。

歯は毎朝毎晩磨いている。前回の歯医者通いで歯磨き指導もあったが、完璧ですとまで言われたくらいの腕前だ。でも詰め物の下は磨けない。こんな不本意な虫歯があるのかと思った。

 

治療の最中にも、麻酔は効いてますか?痛かったら追加しますから言ってくださいね!となにかと気にかけてもらった。最後に先生が削ったときは鈍い痛みが走ったが、耐えれる痛みだったし、何よりもう唇に感覚がなさ過ぎて追加は遠慮した。

やたらとうがいをするのが治療につきものであるとは知っていたが、唇に感覚がなさ過ぎてだんだんうがいが困難になってくる。

型取りの際に唇にピンクのねっとりしたアレがついてしまったのだが、これが感覚がないとなかなか取れない。見かねた衛生士さんが「お口あとで拭きますね」と言ってくれた。そして濡らしたコットンで丁寧に拭いてくれた。気分はベイビーちゃん。

人に1時間ほど手厚く優しくされると、羞恥心などなくなるということをこの身をもって知った。

 

そして治療が終わり、詰め物の仕上がり日を聞いて個室を出た。

お会計は4,000円を超えていた。泣いた。次回は若干安くなるのだろうか?

 

今回の治療が終わったら、定期的に検査や歯石取りをしてもらおうと心に誓った。

普通に受診したらいいのかな? 定期的にやっている人がいたら教えてほしい。

 

9時すぎにかけた麻酔が13時になっても取れず、恐る恐るお昼ご飯を食べたら、味噌汁を口に含んだ瞬間ピュッと味噌汁が飛び出てきた。お口元がベイビーちゃんのままである。午前中は感覚のある左半分の唇を使ってお茶をストローで飲んでいた。

14時には麻酔が取れたので、5時間といったところか。

次回の治療はどのくらいの痛みなんだろうか。今度は仕事終わりに行く予定だから晩御飯前だし、通常麻酔がいらない治療ならもちろん私にも必要ないのだが、それを聞くとまた痛みに怯えて麻酔を希望していると思われて手厚い処置を施されそうだ。

 

私が歯科医に慣れるまでは時間がかかる。そう実感した。

 

 

 

推しとSNSについて思うこと

 

私は始まりがジャニヲタからだったこともあり、有料webのみでしか推しの日記は見れないし、SNSはおろか表紙を飾る雑誌のサイトですら本人のシルエットがグレーで抜いてあるというのが当たり前のことだった。

 

それがどうだろう、最近はTwitter、インスタグラム、Weibo、と様々なところから推しが個々に発信してくる。

雑誌や有料コンテンツよりも気軽に更新できるので色んな推しの姿が見れる等良い一面もあれば、推しがひょんなことから炎上するなんてこともあるもんだから、そんなリスクを考えると、そういうことをさせずに紙面や有料web、コンサートや舞台という表現方法で夢だけ見せてくれていたジャニーさんの親心が今になって沁みてくる。ありがとうジャニーさん・・・

 

最近おうち時間がマストのご時世なので、インスタライブだとかYouTubeライブとかが盛んにおこなわれている。

これが私は苦手だったりする。流れてくる頭の悪そうなコメントを見るのが苦痛なのだ。誰かに見られたら恥ずかしいという自意識過剰な理由で私はどんなコンテンツでもコメントはしないことにしているのだが、コメントをすること自体を否定する気は全くない。

ただ、何か質問をすれば良いものを、「臣くんダイシュキだよぉ💛💛💛」(だいぶ偏った例え) みたいなコメントをする人が多少なりとも存在するもんだから困っている。建設的ではないことをしている人を見るのが苦手なのだ。自分がアイドルやアーティストだとして、そのコメント見たときにどう思うか今一度考えてみてほしい。

 

登坂が一時インスタの投稿にコメントできないように設定してくれた時は感謝しかなかった。(コメントできない設定にした根本的な理由は置いておいてね・・・)

 

こんな風に思ってしまうのは建設的ではないというだけではなく、私がオタクというものになってから今の今まで同担拒否の精神を捨てていないからなのだろうか、推しのグループの他のメンバーへのコメントでも同様の思いを抱くのだけど・・・

それは我が儘だよってことならこれは私の了見の狭さで勝手に文句を言っているだけだと流してほしい。

 

コメントの件もそうだが、たまに推しがSNSをやっていない世界線でオタクしてぇな~と思うことがある。キャラ崩壊してね?と思ってしまうからだ。

 

登坂広臣渋谷すばるも共通して、ライブなどでのパフォーマンスのオラついたクールさから私は沼に落ちて推し始めている。それが、SNSを通してみると人間味というか可愛さすら出ているときがあって、もっとオラついててくれよ・・・!と思ってしまう。

ギャップも可愛いさもいらんのや、しんだらええねんって言ってりゃいいんだよ・・・!!!

 

世の中ギャップに弱い人って沢山いるのは知ってる。でも私はギャップがいらないタイプなので見てらんない。ストレートにクールでいて欲しい。

 

 

そんなわけで私はSNSに対応のできないタイプのオタクとして、これからもジャニーさんの面影を探して生きていくのだと思う。

でも投稿を見ないなんてことはできない。アップされた推しの画像見て最新のビジュアルに一喜一憂して、光の速さでいいね!はしておきたい。

 

オタクと女心は秋の空なのだ。