母が骨折した(前編)
しばらくブログから遠ざかってしまっていた。
毎週末なにかと忙しい。何かと忙しいのに、まだ引っ越しの荷物をひとつもまとめていない。掃除ができない病気なので、荷造りまでが遠いからだ。
タイトルにもある通り、母が骨折した。
母は骨がもろい。今まで骨折してきたのは4回。
1度目は、私が中学生のときだった。
21時には寝る超おねんねベイビーから、ハードな吹奏楽部入部によって0時前まで忙しいの上等になっていた頃。
ある夜、母は出かけていた。0時過ぎには帰ると言っていたのになかなか帰ってこず、そうそう子供を置いて出かけるタイプの母親ではなかったため、これがとても心配になった。
母が帰るまで、寝ずに待っていようとワンナイの録画を見ていた。
すると、1時過ぎだろうか、ドアの開く音とともに蚊の鳴くような声で「ただいま・・・」と聞こえた。
もう、遅いよ~と振り返ると、母の顔は血まみれだった。雨に濡れたサドルを拭くために自転車に忍ばせていたタオルを顔に当てていたが、そのファンシーなゾウさんのタオルも血まみれだった。
私はとても動揺した。動揺して家族が寝静まった深夜に小声でオロオロしているのに対し、母は「大丈夫、血が出てるから大丈夫」としきりにつぶやいていたのを覚えいる。
脳出血を恐れていたのかもしれない。
私の住んでいる地域は橋が多い。母は、自転車に乗ってそのいくつもある橋を渡って帰路につこうとしていた。だいたいの橋のたもとは緩やかに曲がっている。その曲がりに合わせて境界ブロックが敷かれているのだが、そんなのは知っているはずなのに深夜故見えず、母はまっすぐに突っ込んだらしい。すると自転車ごと吹っ飛んだ、さながらE.T。
母の自転車には、傘がさせる棒がついていた。雨の日でも安心の装備だ。
自転車ごと浮いた母は無事に着地したものの、その棒が顔を直撃したらしい。
そして鼻と前歯が折れた。手術もあって、記憶の中で一番辛そうな骨折だったと言える。母のきれいな鼻が少し曲がってしまい、前歯は差し歯となった。
2度目は、弟の小学校の卒業式当日の朝。母は準備に急いでいた。
リビングからダイニングへ小走りで移動する際、並べてあるスリッパに足の小指が引っ掛かった。そして、あろうことか反対の足でそのスリッパのかかと部分を踏んでしまった。母はその突っ張り作用で飛んで、食器棚に突っ込んだ。
私は終始目撃してしまい、一番に食器棚で顔を打っていないかの心配をした。
なぜなら、1度目の骨折からそう期間が開いていなかったからだ。
幸い手がちゃんと出たので、顔は無事だった。そしてしきりに足が痛いと言っていた。
それでも今日は息子の晴れ舞台。準備して行かねば。自身を奮い立たせて準備を続けた。
私は弟に好かれていたため、お姉ちゃんも卒業式きてねと言われていたので母に同行した。痛いという足はどんどん腫れていき、パンプスも体育館用のスリッパも履けなかった。卒業式の全工程を終え、私と母はクラスの懇親会に行く予定だったが、母は病院へ行って合流することになった。そうして先に懇親会の会場へ行き食事をしていると、遅れて母がやってきた。松葉杖をついて。あの入場シーンはなんだか圧巻だった。
ちなみに私と弟は3学年違いなので、骨折後に私の高校入学のための物品購入があった。家から見えるほど近いのにタクシーで行き、途中痛みをこらえて歩く母が不憫ですごく適当に注文してしまった。以降3年間、それによる弊害が少しあった。
3度目は、弟の結婚式の1か月前だった。結婚式で必要な荷物を受け取り家の下のちょっとしたくぼみにつまずいてまたもや足を骨折した。大事な荷物を守るため、手も出せず転んでしまった。
当日は痛みをこらえてギプスを外し、留袖を着て結婚式に参列した。
2度目3度目が弟の節目の直前ということで、弟の人生の節目に母は骨を折ると言われていた。
そして去年の暮れ、4度目の骨折をした。
県外に転勤となった弟がこちらへ帰ってくる直前、奥さんが妊娠したという報告を受けて満を持して骨折した。ゴミ捨てのため階段を降りていたところ、最後の1段を踏み外して足の甲を折った。
両手のゴミ袋も離せず、ありのままの姿で転倒した。
また弟絡み、もうこれは弟の人生の節目で骨折するというのが我が家で確たるものとなった。しかもここまで全部自損。せめて賠償金が出るような骨折をしたいと母は毎度嘆いていた。
ちなみにこの骨折が一番修羅だった。不自由なのに任せっきり体質の父と、不自由さにイラつく母が大喧嘩(母初めての口答え)して家庭内別居となり家の居心地は最悪に。
そして年末、私と遊ぶついでに 母のお見舞い・年末のあいさつ・年越しが危なそうな我が家の愛犬の顔を見に訪問してくれた親友がその時は自覚症状がなかったものの結果インフルにかかっており、10分も会っていない母が連日の安静生活で免疫力がガタ落ちしたせいか感染してしまいかなり寝込んだ。
そしてウイルスのせいか、強打していたせいか、折れていないほうの膝に水がたまり熱を持ち、骨折よりもつらい痛みが母を襲った。苦しんだのちに、三が日にも関わらず旅行先から帰ってきた先生が診療所を開けて処置してくれた。弟は翌日の朝帰る予定だったものの、熱と膝の痛みに苦しむ母に夜通し付き合っていたらしい。
あの時の母は、鼻を折ったときより悲惨な状態だった。
ここまでが、今までの骨折歴だ。
母の骨折歴を語るだけで2,000文字も使ってしまった。
やっとブログ熱が最熱したので、後半へ続くことにする。