ちょっとした余生

20代を全力疾走したせいで 今はちょっとした余生のよう

メガネとコンタクトと私。と、クレームを入れるのが苦手な人生

 

私は中学3年生の終わり頃、メガネとコンタクトの華々しい同時デビューを果たした。

受験シーズン真っ只中で授業も自習ばかりだった当時、選抜Ⅰで合格したためぼんやり日々の学校生活を過ごしていた私は、きっかけは忘れたが眼科へ行くことになり、その日は数時間遅刻して登校することになっていた。

そして母付き添いのもと、眼科の待合室で女性週刊誌を読んでいた。

看護師さんに呼ばれ、視力測定をしてあらビックリ。全然見えねえのなんのって。

そのままコンタクトレンズの付け方講習が行われた。言われるがままになりながらも、視力低下の自覚もないままにコンタクトレンズ、大人の階段何段飛ばしなのって戸惑ってた。

意外とすんなりコンタクトは瞳に入り込み、看護師さんの「ちょっと周り見てごらん」の言葉に従ってぐるりと椅子ごと体を回した。

 

「なんこれ!!!めっっっちゃ綺麗~~~~!!!!!」

 

ここまで見えてないと思わなかった。つけた瞬間世界が変わった。これぞコンタクトレンズのCMです!みたいなセリフが脳内をよぎるなんて。

今の視力じゃメガネもないと無理ですよと言われて、隣にあるメガネ屋をハシゴすることになった。

メガネなんて母親がたまに買い替えるのに付き合ってたくらいで、まさか自分がつけることになるなんて。

割とどんなメガネでも無難に似合う顔の形をしてるらしく、すぐに決まり購入してもらった。

今思えば、メガネだけでなくコンタクトもその日に購入してくれる母の気遣いがすごい。私なら、毎日メガネでいいだろ?コンタクトがいいならそれなりに頼み方があるよなァ?とか言っちゃいそう。鬼母かよ。

今考えれば、母も早くから目が悪くメガネだったのと、その当時のコンタクト代はべらぼうに高かったそうなので、色んな意味で理解があっての購入だったのだと思う。遺伝かもって負い目もあったのかもな。

 

そしてメガネを持って登校。いきなりメガネで登場は恥ずかしくて、かけては行けなかった。

冒頭に書いた通り、内容は違えど毎時間自習なので授業と言う授業はない。

基本的に班単位で行動するクラスだったので、班のみんなで数学のプリントをいかに長距離飛べる紙飛行機にするか研究していた。

受験前に何してんだと思われるが、私の班のメンバー6人が全員特殊だったのだ。

私のクラスで選抜Ⅰで合格したのは2人だけで、私と男の子1人だった。その男の子が同じ班だった。

そして残りの男の子2人は頭が良すぎて別に今更勉強する必要がないというスーパー人間(2人とも立派なお仕事に就きました)、私を除く女の子2人は私学1本で受験したためすでに合格していた。

つまり、全員紙飛行機を作るくらいしかすることがなかったのだ。

一度、社会の先生に「お前ら自分が良けりゃそれでいいんか?」と不真面目な自習態度に喝を入れられたときも、反抗期真っ最中が故に「どう考えても関係なくね?そもそも今の時間に必死で勉強しないと落ちちゃうなら何しても落ちると思う」などとのたまう始末だった。

我ながら腹立たしい子供だった。私が先生なら教職を追われるとしても怒りそのままブン回してる。

 

そんな生活の中で、突如メガネを手に入れちゃった私。班の皆さんに、ちょっとかけてみますわ・・・と宣言して装着。黒板を見た。

 

「なんこれ!!!めっっっちゃ綺麗~~~~!!!!!」

 

2度目だがまたこのセリフが出てきてしまった。悪筆気味な先生が多かったのと一番後ろの席だったこともあり、こんなもんかと思っていたのに。全然違う、クリアさが。

 

これが私のメガネとコンタクトとの出会いだ。あの日から15年経とうとしている。

その後も、右目が乱視だけど乱視用レンズが全て合わないだとか、乱視が普通とは違う角度で出ているらしく、普通は横に歪むから目を細めればピントが合うけどキミのは縦に歪んでるからね~瞼は縦には閉じないでしょう?ってドヤ顔でどうにもならないことを眼科医に言われたりもした。利き目が左だからまぁ大丈夫って言われて終わったけど。

そんなこんなで今日まで普通のコンタクトレンズを使用し、メガネは常に持ち歩き用・家用・予備と3つ揃えるまでになった。

メガネなんだ~掛けさせて?と軽い気持ちで私のメガネをかけた瞬間「ギェッ?!」と奇声をあげて目をシパシパさせる人を何人も見てきた。

健康診断の眼底検査でコンタクトを外すために洗面台に案内され、メガネを持って来てないと伝えているのに外したらさっきの部屋来てくださいねとだけ言われて放置されたときは、「ひどい・・・ひどい・・・」と言いながら壁伝いに歩き、あまりの遅さに様子を見に戻ってきた技師が慌てて腕を引いてくれた。私はすっかり重度の近視になってしまったのだ。こんなに見えないんだから何らかの税金控除や助成を受けたい。

 

そんなわけで、特に大きなトラブルもなくコンタクト生活を送ってきたのに、昨日初めて不良品に出会った。

朝普通にノールックでコンタクトレンズを装着し身支度を整えて出社したところ、左目が痛痒くてかすんで見えた。これは汚れでもついたかな、と取り除くため外したら、縁が明らかに欠けていた。こんなの初めて見た。

毎朝ノールック作業だったので全く気にしたことがなかった。

検索すると、そのままつけるのはよろしくないらしく持ち歩きのメガネをかけて過ごした。

製品のHPによると不良品があればご連絡くださいとのことだったので帰宅後ロット番号を添えてカスタマーセンターへメールした。

そして今日、メールの返答があった。

ご迷惑おかけし誠に申し訳ございませんでしたから始まり、目の状態を選択する必要があったので痒みと違和感にチェックを入れたのでその心配、そしてメールでの連絡を希望にチェックを入れたが直接お電話で詳細を伺い対応したいとの内容だった。

丁寧すぎて既に申し訳ない。

 

仕事では役所やその他各所にも納得いかないことや理不尽なことがあれば噛みつき、なんでも理詰めで責めるのが大好きで、彼に「追い込みがマジで半端ない」とまで言われる瞬間湯沸かし器の私だが、どうもクレームというのに苦手意識がある。

カスタマーセンターの人が作ったわけじゃないからその人に怒るのもなんだか気が引けるし、自分だけがちょっと困った程度で文句言うほうが体力使ってもったいない気がしてしまう。なんだろう自分で言っててもわかるこの矛盾。とにかく私はコンタクトの縁が欠けてたからって湯は沸かないのだ。

ロット番号で製造管理されてるだろうから、気を付けてくんろ~という親切心しかないのだが、大手企業のサポートは手厚い。

早速お昼休みに電話がかかってきた。ひたすら平身低頭でこちらの申し訳なさがどんどん大きくなっていく。

かれこれ15年、2weekだとか1dayだとか種類は移り変わってきたけど、メーカーだけはずっと変えずに購入してきた。だからたった1枚欠けてたくらいで私は推し変しない

熱愛出ても推し変しないのと一緒だよ。だからもうそんな謝らないで。

 

最終的に、異常があれば眼科医へ行くことと、30枚入り1箱を送りますと言う話でまとまった。

これが何の因果か、ウソみたいな本当の話なんだけど、縁が欠けてたのって最後の1枚だったんだよね。ロット番号もゴミ箱から探し出した。もう忍びない。送らなくてもいいんだよ・・・

正直に言った、何なら電話の冒頭から言った。最後の一枚だったもんで(だから気にしないで)って。でも、1箱をバラして1枚だけお送りするわけにはいきませんので、1箱送らせていただきますって話だった。ここでかたくなに時間をかけても仕方ない、受け入れた。

そして、欠けたレンズが手元にあれば今後の為に、封筒を送るからレンズを入れて送って欲しいとのことだった。取っておいて良かった。

話を聞きながらデスクの引き出しをあけて干からびたレンズを見つめる。

私が出来るのはこのカピカピのレンズを送ることと、これからも変わらずこのメーカーのコンタクトレンズを使い続けることだ。

 

カスタマーセンターに連絡なんてしなきゃ良かったという罪悪感が残るほど私はクレームを入れるのが苦手だということも再確認できた。

今日も学びある1日を過ごせたと思う。