ちょっとした余生

20代を全力疾走したせいで 今はちょっとした余生のよう

2020年のゴールデンウィークを振り返って

 

タイトル読書感想文かよってセルフツッコミ。

本来の私はインスタの投稿なんかも独自のルール作って表示を揃えたりする典型的なA型で、ブログのタイトルなんかも当然揃えたりしたいんだけど、そうなると更新のハードルが上がりそうであえてこんな感じのゆるいタイトルでやってます。

  

去年のGW10連休は、序盤の3日間で彼と車で京都まで行って神社仏閣を巡るためにフルマラソンくらいの距離歩いた挙句、帰ってきて扁桃腺腫らしました。社会人になってから、心身どっちとか関係なく疲れやストレスが溜まるとやたらと扁桃腺が腫れるようになって、この時は予兆の時点で素早く市販薬をいくつかキメてなんとか社会復帰に間に合わせました。これが慣れってやつ。

 

今年は5連休。本当は隣県の米軍基地のイベントに行って本場のエナジードリンクを飲むなんて予定を去年の今頃から予定してたんですけど、中止ですよね普通に。

たとえ開催されたとしても、県外ナンバーの車で行ったところで自粛警察になにされるかわかったもんじゃない。日本人ってまともだと思ってたし日本人であることにある程度の安心感持ってたけど、今回のいろんな騒動を見てこりゃ他国のことなんか馬鹿にできないなと思ったり。逆に他国のエピソード見て素敵だなって思うことも増えた。

 

さて、去年の半分しか休みがないとはいえ今の状況で5連休もあってなにする?ってことになってくるんですよ。家に居ろってのはごもっともな話だけど、休み初日からピーカン照りで気温も一気に高くなるってのに完全に家から出ないのも心の健康によくない。家族仲は悪くないけど、引きこもりモードになると私マジで人と喋らなくなる。それに家族は不要不急ではない職種のためGWも通常通り仕事。

 

私が在宅勤務してるならまだしも、日々普通に通勤してる身としては、休みの日だけ完全に1人で引きこもるってことにどうもメンタルが追い付かない。

そんなこと言ってる場合かと言われるとどうだろうと考えてしまうものの、私の住む街は市中感染もなく、他の市や離れた区でクラスターが起きている分しか陽性の発表がないので、そこまでシビアに引きこもってなくても良いんじゃなかろうかと言うのが本音だったりする。

元々彼とは秋から同棲する予定で動いてることもあって、正直コロナさん時期が悪いよって、この騒動が秋だったら全然1歩も外出ないでいいのにって思ったりもした。

 

同棲するにあたって家具家電を見たりはもちろん物件のほうもいくつか候補を絞っていて、こうなったらGWは勤務地から最有力候補の物件まで歩いてみるかってことに。

去年京都でフルマラソンくらい歩いた2人が、今年も歩くってどんだけ歩くの好きなんだよって話。

私は走力Gではあるものの歩くのは苦にならないタイプで、会社から自宅まで6キロをダイエット効果を期待して毎日歩いて帰る時期があったくらいなのでウォーキングはもう趣味と言ってもいい。

 

そんなわけでGW初日は、彼の勤務地→私の勤務地→物件候補地を歩いてみることに。

結果的に往復で14キロ。距離は大したことないけど候補地が団地にあるのもあって高低差がかなりきつい場面もあった。

暑さ対策の麦わら帽子に、マスクって初めての装い。彼はマスクにサングラスで行こうとしたけど不審者すぎて恥ずかしいってマスクのみ。夜見たら顔の上半分だけ赤かった。その日焼けのほうが恥ずかしいのでは。

最高気温27度でマスクなんて立ってるだけで暑いのに、歩くとなると本当にしんどい。途中低酸素トレーニングかな?って思ったりもした。

 

 

2日目と3日目は各自おうち時間。さすがにいきなり長距離歩いたから筋肉痛。

お尻が筋肉痛になるのは予想できてたけど、まさか脛が痛むとは。

 

2日目は衣替えしようと思っていたのに1日中惰眠を貪ってた。私気を抜くとすぐ寝ちゃう。寝ようと思ってベッドに入ると寝れないのに、そのつもりがないときはスッて寝る。

 

 

3日目は両親共に仕事で家に一人きりだったため、リビングの55型を堪能してやろうとリモコンのNetflixボタンをポチッと押してログイン。

なにを見るかってそりゃ水曜どうでしょうですよ。私の水曜どうでしょう愛についてはまた後日語らせていただきたい。

でも昔の映像なもんで画質が荒い。55型で見るとその荒さが際立つこと際立つこと。

どのエピソードも全て一度以上見ているので、他の話題作を流してご飯食べたりゴロゴロしたり。そしてここまで読んだら多少お察しかもしれない。寝た。

夕方起きてビックリしちゃったね。ワシまた寝たんかつって。

スケジュール的にこの日に衣替えしないと他にできる日がなかったんで、両親が帰ってくる前に衣替えを決行。

衣装ケースが親の寝室にしまってあるから、居ないときにやるのが一番効率が良い。

 

衣替えすると、新しい服買った気分になるのって私だけかな?これ着よう〜これもこうゆうときに着よう〜ってウキウキしたり。

まぁ結局いちばん手前に入れてる服から着ていって、その後は洗濯から戻ってきた服から着てくんで全く着ない服とか出てきちゃう。ズボラというか、なんというか。

 

 

4日目は、とりあえずまだ左投げのグローブないけど右でも投げれるわけだしキャッチボールでもしますかと集合。その前にドライブがてらお昼ご飯でも探しましょうかねって割と遠くまで車を走らせてたら、なんと大型スポーツ用品店が開いてるじゃありませんの!

早速グローブを探す。左投げって意外と置いてない、コロナのせいなのか?

グローブについての知識は全くないので、品定めもすべて彼に任せた。私は手が小さいので、彼から少年軟式用のグローブをすすめられた。スポーツ用品店自体はよく行くので、結構前に行った際に手袋のサイズ表に手をかざしたときもジュニアサイズに該当していたので納得はできた。でも少年とはなぁ・・・アラサーだってのによォ・・・

あとは値段と、どのメーカーのものにするか。もともとグローブに対して想定していた予算が18,000円程度。さらっとネット検索して相場を見て、それくらいあればある程度のものは買えると踏んでいた。そしてメーカーはこだわりなし。わかんないし。

それだけの条件で選んでもらった結果、なんとあっという間に1万円以下のもの2つに絞られてしまった。

そこで、最終的に「こっちのメーカーのほうがなんか通っぽいって思うよ」という一声で美津和タイガーのグローブに決めた。

多分これだと思う、なんせスチーム加工というのをしてもらった為にタグが切られてしまっていたので今となっては品番がわからない。

 

 

スチーム加工を頼むと柔らかくなるそうで、彼が店員さんに頼んでくれた。仕上がり時間にまた取りに行くと、店員さんは私に向かってはめてみてくださいと言った。全てお見通しというわけですか。よくわかりませんが柔らかくなってる気がするのでこれで大丈夫です。それしか私には言えない。

 

セール価格で値札には9,000円台の数字が印字されていたのに、レジでは7,700円と表示された。思わず彼と顔を見合わせた。マスクをしているので目しか見えないが、何を言わんとするかはお互い一瞬でわかってしまった。

その後、必要とはいえいきなり大きい買い物したねと言わんばかりの彼に私はウキウキで「当初18,000円を予算にしていたのに半額以下の7,700円で買えたというのはもはや10,300円の利益、気持ちの上では実質タダだよ。」とオタクにありがちな無茶な発想をそのまま伝えたところ、難解そうな顔をしていたし、少し引いていたように思う。別に良い、これわかる人にはわかる感覚だから。

 

そしていざ広い川土手でキャッチボールをしようと思って向かったところ、これが引くほど人がいた。簡易キャンプみたいな人からBBQまで、それは密では?と思うほどの人がいた。その他思いつくかぎりの広場へ行くも人、人、人。みんな考えることは同じなんだなー。

泣く泣く自宅近くの公園まで戻ってキャッチボールすることにした。ここいっつも誰もいないもんね。

 

夜なにげなく見た「いいね!光源氏くん」が思いのほか面白く、来週も見ることを決意した。

千葉雄大ってどんな役でもマン振りできるからすごい役者さんだよね。戦隊特撮ファンとしては永遠に彼はゴセイレッドなんだけど。仮面ライダーWの桐山蓮も出てて、なんとも入りやすいドラマだった。1話から見てなかったことを悔やむ。

 

 5日目は朝からDVDをレンタルして1日中籠もってDVD観賞。

観たのはHIGH&LOWのドラマシーズン2と映画第一弾。

私はもちろん全て履修済みだけど、彼がドラマのシーズン2を未履修だったのでドラマから。映画は全部一緒に観に行ったから、おさらいって感じで。

雨宮広斗が最高なんすよこのコンテンツ。「よくもまぁ群れやがって」「お前の顔は覚えたからな」あぁ、雨宮広斗は私の癖をついてきますねぇ。なにも言わなくても広斗がかっこいいシーン巻き戻して見せてくれる彼は神か。わかりすぎてやがる。

 

そしてラーメン食べて解散。化粧したままソファで爆睡して幕を閉じる最高のGW〆となりました。毛穴パッカーンだよ。

 

 

こうやってGWの振り返りを書き出すと、お互いが好きなものや趣味に興味を持って一緒に楽しめる相手で良かったなと思う。私はキャッチボール好きになってグローブまで買ったし、彼はこちらの推しや推し所属会社のコンテンツも興味を持ってくれる。なんならハイローキャラの物真似もするぞあの人。こうやって共通の趣味に増やしてくとなにかと楽しいね。

 

 

旅行に行ったわけでも、特別な思い出に残る過ごし方をしたわけでもなく、最近の土日が連続してやってきた感じで通り過ぎたGWだったけど、来年以降、こんなGWもあったね〜と言えればまぁいいかなと。

きっと完全STAYHOMEでそのまま在宅仕事なんてパターンも多いのかもしれない。普段は外に出なくたっていい人だって規制されると出たくなる心理になると思うし。辛いよね。

 

早く終息してくれんもんかねぇ。(方言丸出し)

 

 

 

ブチかまされた話

 

GWに入る前日の夜。

 

私は仕事に対してかける時間が他者よりも早めらしい。それ故にどうしても何もない時間が出来てしまう。そんな時、事務所に人がいなければそれなりにサボるのだが、事務所に人がいるときはそうはいかない。1週間のスケジュール見ながらゆっくりやれば良いのはわかっているのだけど、ゆっくりダラダラやってたら集中力が散漫になってミスしそうで結局いつものハイペースでやらざるを得ない自分の不器用さが憎い。

手持ち無沙汰さが凄い私は一日中、「今日が終われば休み、今日が終われば休み」って脳内で連呼しながらなんとかやり過ごして連休前最後の出勤を終えて疲れ果てた状態で帰宅した。暇疲れって一番しょうもない。

鞄を定位置に、手を入念に洗って飲み物をコップに注ぎ部屋に入ってソファに座った。ため息をひとつ。それに答えるようにブーンって聞こえた。

ブーン?

結構な大きさの虫だと察するには十分な羽音に恐る恐る上を見上げると、シーリングライトの端にシルエットが見えた。なんかホームベースみたいな形、一目で悟った。

カメムシじゃん・・・

 

私、地方に生まれ育っているとはいえ決して田舎っ子ではないので、カメムシに遭遇したのは中学校の階段の踊り場以来。遭遇したと言っても臭いに遭遇しただけ。騒ぐ同級生からその臭いの根源がカメムシだと聞いただけ。だけなのだ。

正直そんな馴染みのある相手じゃない。残念だけどGのほうが馴染みある。ごく稀に洗濯物にカメムシがとまってて、それをハラリと追い払った母親がリビングに戻って来てから一連の流れを話した後に「今年の冬は寒くなるかもね~」なんてのんびり言う、私にとっては実体のないヤツでしかなかった。

中学校の踊り場での惨劇が甦る。皆がパニックに陥ったあの不快な臭い・・・それが唯一あるカメムシの記憶・・・

 

私は飲み物を注いだコップを手に静かに部屋を出た。そしてドアをそっと閉める。

リビングには父がいた。声を掛ける。

 

カメムシがいるんだけど、捕まえたことある?生死は問わないのだけど」

 

父は答えた。

「捕まえてやろう、お願いしますと言え」

 

親のくせになんて物言いだと思ったが、私はさらに問いかけた。

「お願いする前にもうひとつ。生死は問わないが、放屁させない自信はあるか?」

 

父は笑った。

「それはどうだろうな、約束できない」

 

そう言った父の言葉を聞いて私は断った。生死は問わないが放屁だけは避けてもらわなければいけない。私は部屋が片付けられない病気だ。そんな荒れ果てた部屋で放屁なんてされたらおしまいだ。どこに臭いがつくかわかったもんじゃない。母の帰宅を待つことにした。

 

ダイニングで立ったままお茶を飲み、IQOSを吸って母の帰宅を待つ。時折そっとドアを開けてライトを見る。少しずつ移動しているのが怖い。まるで爆弾を体に巻き付けたやつが部屋に立てこもってるくらいの緊張感。

母を待っている間何もしなかったわけではない。カメムシ 臭いを出させない 捕まえ方 の検索を怠らなかった。目を皿にしていろんな記事を読み漁る。

掃除機で吸うのは無理だ、私自身は愛着ないけどこの前買ったトルネオにそんなことさせて母がどう思うか・・・

中性洗剤と水を混ぜた液体をペットボトルに作り、飲み口をカメムシにあてがってペットボトル内に落下させる。これが一番できそうだったが、これによってできるカメムシ水をいつまで保管し、いつ廃棄すれは臭いがしないのかまでが書いてない。ダメだ・・・

 

そうこうしているうちに母が帰ってきた、いつも通り買い物袋を両手に階段を上がり息切れをしている。そんなのおかまいなしに声を掛けた。

部屋にカメムシがいるから捕獲して欲しい。生死は問わないが放屁だけは避けたい。

母は全てをすぐに理解し玄関に荷物を投げ置いて部屋に行こうとしてくれた。それなのに活躍したかったのであろう父が先に部屋に向かう。全くお呼びでない。

部屋から出て母に任せろと叫ぶ私、この部屋狭いんだからあんた部屋から出なさいよと言う母、カメムシを見上げヘラヘラフラフラしてる酔っぱらいの父。カメムシが居る居ない関わらず部屋がカオスだった。

その間にもカメムシはライトの上をチョロチョロと移動している。正直ここまで父が憎いと思ったことはない。何度も言うが私は部屋を片付けられない病気だ。部屋は片側一方通行状態なのに部屋の真ん中でヘラヘラとふらついてる父が邪魔以外の何物でもなかった。

 

なんとか父を部屋から出すことに成功した。なぜカメムシと対峙する前にミッションがあるのかわからないが、やっと向き合う時間がやってきた。

母がティッシュを片手にライトの真下にあるテーブルに立つ。我が家で一番小さい母はギリギリ手がたわない。でも私は声援を送ることしかできなかった。

奇跡的にカメムシが母のティッシュに向かって歩いてくる。「そうだ、こっちにおいで~」母が優しく声を掛ける。これなら逃がす方向でいけそうだ。

 

ティッシュに乗ったカメムシをふんわりと包み、その様子を見て事態はなんとか収まりそうだと私は安堵した。そしてその手をおろした母がティッシュを見て言った。「あ、全然掴めてないわ」そう言って包み直そうとした瞬間、カメムシが飛んだ。そして母のお腹に止まった。私は思わず奇声をあげた。

「あれ?どこいった??」「ママのお腹に止まってる!!」「どこ?いないよ」

あろうことかこの日母が着ていたのは深緑のチェックシャツ。カメムシが紛れるには十分すぎる色味だった。私には見えているが母には見えていない。

どこ?なんて言いながら母は自身のお腹を手で払った。そこにはカメムシが止まってるのになんでそんなことを。その瞬間、またカメムシが飛んだ。私はまた叫んで、思わずドアを閉めた。

 

あれ?床に落ちた?と言う母に、ドア越しに上に飛んだよ!と叫ぶ。母は恐怖心がないのに見えない、私は怖いばかりなのに見える。なんて皮肉なことなんだろうか。

 

しばらくして、あ!おった!という母の声が聞こえてドアを少し開ける。あの日の踊り場を思い出す臭いがした。カメムシの居所なんかどうでもいい。全部終わった。

 

ブンブン飛び回るカメムシを母が丸腰で追いかける。もう終わった、かまされた、部屋が臭いと言っても母は何も感じていないようだった。爆心地だからであろうか。

丸腰ではあまりに不利なので、母の指示でフマキラーを取ってきた。ドアを10センチだけ開けて手渡す。「これゴキブリ用のじゃん。まぁしょうがないか。」と再び戦地に戻った母。カメムシ用のフマキラーでも用意があったのだろうか。

 

フマキラーの噴射音がかなり聞こえる。カメムシの放屁にフマキラーの乱射、私の部屋は一体どうなってしまうのだろう。「弱ってきたよ!」という声かけがあったため、床に落ちたのか問いかけたところ、「まだ飛び回ってるけど、苦しそうにしてる!」と返ってきて少し笑ってしまった。うちの母はナウシカか何かなんだろうか。

 

しばらく格闘の末、カメムシは息絶え、トイレに流された。

 

そしてドアを全開にすると、やはりどうやったって臭い。泣きそうだった。

一部始終を父に話すと、ほれみたことかと言わんばかりの顔で、ワシに任せれば良かったかもしれんで、と言った。確かに父も元は野山を駆け回るダンスィだったわけだし、母がやって放屁されたのだから、父にやってもらって失敗された方がいっそすがすがしかったかもしれない。それに成功するかもしれないという希望もまだ残っている。

 

母は、何度部屋を嗅いでも臭わない、気にしすぎでは?と言ってのけたので、戦場の第一線で戦ってるやつらはきっと血なまぐさいだとか火薬の臭いなんて感じない、それと一緒だと言っておいた。戦場の第一線、行ったことないけど。

その後すぐに、母は自分の着ているシャツの腹部分が臭いことに気付いた。そこが爆心地に違いない。

 

そして負い目を感じたのか、窓を開け部屋の消臭スプレーを吹きまくっていた。換気扇も回す。

 

晩御飯は海鮮巻だった。キュウリが入っているものを口に入れた瞬間、色々と思い出してしまい思わず吐き出してしまった。母に少し叱られた。これが悪いことなのか私にはもうわからなかった。

 

明日から休みだと言うのに部屋が終わるなんて、と思いながら、いつもなら晩御飯の後は部屋に戻るところをリビングで過ごした。

ちょうどラプンツェルが放送される日で、観たことがないので観ることにした。

ディズニーとジブリにあまり興味がなく馴染みがないまま大人になったので、いつもなら絶対に観ないのだが部屋に戻れないので仕方がない。CMの度に部屋へ潜入し、消臭除菌のためにファブリーズを吹きかけた。

 

そんな理由で見始めたラプンツェルだが、これが面白いのなんのって。

マキシマス(馬)がいいキャラしてるし、ユージーンいい男やん・・・

他にもこんな感じで面白いディズニー映画なら見たいと思ってしまった。

 

カメムシのせいで失うもののほうが多かったのは紛れもなく事実だが、ラプンツェルが面白いと知れたのは唯一の収穫と言える。

 

部屋も、家じゅう寒くなるくらい換気してCMごとに消臭除菌したのでなんとか過ごせる状態には戻った。なにより爆心地が母のお腹だったのがよかったのかもしれない。

 

以上がGW前夜にブチかまされた話。初日に旅行行く予定とかなくてよかったと心底思った。だってかまされた部屋じゃ荷造りできないもの。

 

 

それでは今の推しの話でもしようか

 

渋谷すばるから始まった私のヲタク人生。今の最たる推しは三代目JSB登坂広臣だ。

 

以下の記事でも書いたように、ジャニーズとは別の扉が開いたのが高校三年生のとき。

yose1-yolo.hatenablog.com

 

同じクラスだった親友が元々EXILEのファンで、当時オカザイルが放送されて私が少しTAKAHIROに興味を持ったところを見逃さずライブへ誘ってくれたのが始まりだ。

それからというものの親友と二人で欠かさずLDHにお金を落とし続けてきた。

TAKAHIROのことも語りたいところだが、今回は今の推しである登坂広臣について話そうと思う。

 

元々登坂広臣の存在はオーディションのときから知っていた。

週刊EXILEを毎週欠かさず見て、事務所の体質や考え方を考慮して早い段階から今市隆二登坂広臣で決まるだろうなということは察していた。

そして選ばれたときは、やっぱりね・・思った通りよ・・・とだけ思って満足していた。

そして彼らはデビューして、EXILEのツアーに帯同するようになった。だが追う気にはならなかった。なぜなら私にはバラードが響かないのだ。

 

ライブにおいて一番求めているのは激しいダンスナンバーや煽られ甲斐のあるオラついた曲。まさに特効バンバン炎ゴーゴーといった演出が似合う曲が好きなのだ。

 

それなのにデビュー曲は失恋ソング、EXILEのライブに出てくる時も失恋ソング、私にとっては休憩曲だった。

 

それがある時、FIGHTERSという曲を歌いはじめた。

 

youtu.be

 

いつもなら申し訳ないけど三代目が出てきたときは給水時間とさせていただいていたところが、これは私の求めるかっこよさが詰まっている。

見ないのは勿体ない。こうして初めてちゃんと7人のパフォーマンスを見ることになった。

 

かといってまだ深追いはしなかった。なんせTAKAHIROで手一杯。何かを2つ以上推すのは性格上無理なのだ。

 

そんなとき、地元に三代目がツアーでやってくることになった。

三代目J Soul Brothers LIVE TOUR 2014 BLUE IMPACT だった。

これも、今思えば親友に誘われたのが始まりだった。

当時EXILEはドームツアーばかりで、アリーナしかない県に住んでいる私はもっぱら遠征していた。

それが三代目はアリーナツアーだから地元に来る。これは実質タダでは?という頭の悪い発想で、後輩さんらがどんなもんか見てやりますか〜と軽率にチケットを取ることになった。

 

参戦のマナーとして引っ下げてるアルバムくらいは聴いておこうと、事前に購入して聴いたものの、やはり聴いてしまうのは攻め曲。それがまさかメドレースタイルで一気に自分の手持ち曲をパフォーマンスされてしまうことなど調べもしなかった私は、熱心にメドレーで早々とこなされる曲たちを聴いていた。いつもはセトリ調べて心臓への負担を軽くしてるのに、このときは完全に怠っていた。反省。

 

そして公演日が近付きチケットが届くも、ステージからとても近いアリーナ席だということがわかり多少焦った私と親友は、青がテーマらしいから青い服でも着ていこうかなんて急いで青い服を新調した。

そして当日、座席表をみてびっくりした。三列目と書いてあるはずなのにステージ形状の都合で最前列なのだ。センターステージのど真ん中最前列。正直どうかしていると思った。なぜこのタイミングでこんな神席を・・・ガチファンに申し訳ない。

一旦落ち着こうと、親友と私は喫煙所へ駆け込んだ。喫煙者は私だけなんだが。

そして私たちがひとしきりヤバイヤバイ言ったあとに始めたのは、メンバーの名前検索だった。本当に当時のことを思い出すと失礼極まりない話なんだが、メンバーの名前もよくわからず、ふわっとした気持ちでライブに来てしまっていた。

EXILE兼任のメンバーはわかる。ボーカルもわかる。残りのパフォーマーがあやふやだった。試験前の高校生かってくらい必死に画像と名前を交互に見比べる。

 

GUNちゃん・・・?岩田剛典・・・岩?岩だからGUNなの?

外人はELLY、エリー、えりー・・・

山下健二郎、これはひねりないな、山下健二郎ね、オッケーオッケー

 

なんて詰め込んで、座席についた。もちろん周りはガチ勢ばかりでどうかニワカがバレませんようにと祈っていた。

 

そして始まった。暗転したステージにカプセルのようなものに入って登場した彼らを見て、目の前にいるのが誰かわからず、「ELLYかな?ELLYかな?」なんて覚えたての名前を連呼していたらライトが当たって目の前にいたのは登坂広臣だということがわかった。その後すぐ知ることになるが私たちの席はボーカルがやたらと目の前で歌うとんでもなく良い席だった。

序盤は、回転するステージの速さが今までにみたことのない速さで笑っていたが、パフォーマンスを見ているうちに笑えなくなっていた。なにこの人たち、かっこいいんですけど・・・

 

 当時の彼らのパフォーマンスがこれである。

youtu.be

 

このボーカルが立っている場所の目の前に私はいた。

これで登坂広臣のかっこよさに気付くなというほうが無理だった。

彼の顔のパーツで一番好きなのは鼻だ。私はスッと通った鼻筋に目が無い。彼は今まで見てきた誰よりも理想的な鼻をしていた。こんな完璧な鼻見たことない。

私の鼻に対する理想や情熱を誰に語っても賛同を得られないので多くは語らないが、太すぎず細すぎない鼻筋、鼻の頭まで丸まることなく綺麗に通っている。正面から見るのもなかなか乙なものだが、何より横顔がとても綺麗。

この鼻だけで、彼の短足も指の太短いところも気にならないほどだった。(ディス)

 

そして、魅せ方がとてつもなく刺さる。私は元々オラついた仕草にめっぽう弱い。

どちらかといえばハートフルな煽りをする今市隆二に比べ、登坂広臣はオラついていた。LDH的煽りは平和的な言葉選びが多いものの、どこか斜に構えた目や表情から読み取ると「こいよ」「まだやれんだろ」そんなことを言われているような気がしてしまう。

そんなクールさは仁亀でいえば仁であり、渋谷すばるの「騒げや」「かかってこいや」に通ずるものがあって、勝手な妄想込みで登坂広臣に魅了されていた。

 

沼落ち以降、調べるうちにわかったのが、当時映画ホットロードの撮影もあったためかなり体も絞られていたということ。精悍な顔つきにその美しい鼻が映えて最高だった。

彼のあのクールさは役柄にひっぱっられていたのかもしれないとも思ったが、それ以降のライブでも、そのクールさやカッコつけ方は変わらなかった。それがまた私を沼へ引きずり込んだ。

 

ちなみに親友はライブ終了後、ELLYと山下健二郎がかっこよかったと言っていた。揃いも揃って落ちかけていた。

 

沼落ちを決定的なものとしたのは、その後行われたTHE SURVIVALという埼玉スーパーアリーナで10日間にわたって行われたライブだった。事務所所属グループが10日間入れ替わり立ち替わりVS形式でパフォーマンスする。もちろんEXILEや二代目を見るために参戦を決めた。しかし私の仕事のスケジュールの関係で2日間参戦するうち1日目が三代目vsGENERATIONS になってしまった。そのときはまだ登坂広臣への完全な沼落ちはしていなかったが、もう三代目の良さを知っているからEXILEが関与してない現場も選択できてしまった。

 

そして当日、ライブが始まり、外周をトロッコ登坂広臣が目の前にやってきたタイミングで突然沼落ちの音がした。

「え、無理、登坂広臣ふぁ〜!!!!」語彙力の無さが沼落ちの特徴的な症状だった。

最前ライブがあった数ヶ月前から、少しずつディグることで溜まっていた登坂広臣への想いが本人を目の前にしていよいよキャパ超えした瞬間だった。

そしてそれと同時に、TAKAHIROを登坂広臣が超えてしまった。

翌日はTAKAHIROvsSECONDvsGENEだった。その最中にも心が登坂広臣を求めていたのが、超えたと表現するには何よりの証拠だった。このライブももちろん最高だったが、どうにも三代目見せてくれ、三代目〜という気持ちがあった。これは確実に超えてしまっている。

 

親友にも変化があった。完全にELLYと健二郎、略してエリケンを推しちゃってる。

二人して沼落ちしたなら、怖いものなんてない。現場、行こっか。

 

しばらくはTAKAHIROと掛け持ちしてEXILEのライブも行っていた。親友の推しであるMAKIDAIが勇退してから徐々にEXILEからは離れていき、楽曲が好きなSECONDのライブに参戦したり色々と流動的な部分はあるが、こうして今日まで三代目だけは変わらず参戦しつづけて、三代目を通してLDHにこの身を捧げている。もうこの身焦がしそうな勢い。

 

ガチャの相場サマンサだけ高すぎだし、ライブの倍率は常に高いし、コンディション保てずに気を抜くとすぐ顔パンパンになるし、登坂広臣が私に与える試練は正直多い。

でも、きっと登坂広臣は私の最後の推しだと予感している。

だからその最後のときがくるまで、全力で推していきたい。

 

 

左投げ右打ち

 

私は元々左利きの人間だったりする。

今でこそ珍しくないが、私が子供の頃はまだちょっと左利きタブーな風潮が残っていたらしい。

母が習字を習わせたかったのと、お堅い幼稚園に通っていたこともあり、文字を書くのは右に矯正されたものの、食べるのはスプーンですら右で使えなかったため左で食べている。

あとはハサミやカッター、咄嗟にでるのも左手だが、だいたいのことは右でやる癖がついているため、そのおかげで今はお昼休みにマウスを操作しながらお昼ご飯が食べれるなど行儀は悪いが便利な暮らしもしている。

 

運動音痴のため習い事でスポーツはしてこなかったものの、体育の授業も右利きの人々と同じように右でやっていた。

一緒にお昼を食べていて左利きのイメージを強く持っている友達は、ソフトボールの授業なんかでよかれと数少ない左投げ用のグローブを確保してくれたもんだが、期待を裏切って右投げだったし、遊びの延長でバッティングセンターに行ったときも端の方へ走って行って左打ちあいてるよ!って言われては、すまんな右打ちなんだよなんて言っていた。

右打ちか否かは、左打ちかもしれないと思って試した時にてんでダメだったので確定している。

 

それがびっくり、タイトルにある通り、私は左投げ右打ちだということがこの度発覚したのである。

 

私の彼氏は趣味でソフトボールのチームに入っている。

私は母が運動音痴でそれを引き継いだためあまり運動に良いイメージをもっていなかったものの、父が野球だけで高校・大学へいった経歴があるため、弟や父とキャッチボールをした経験はあった。そしてこのコロナである。やることがないからキャッチボールでもしようという話になった。彼の予備のグローブを借りて、いざキャッチボール。

 

彼も私自身も、私のキャッチボール力に期待してなどいなかった。なのに、なんか結構ちゃんと出来てしまったのだ。彼がいたずら心でフライボールを投げると、なぜか私は落下位置がわかって取れてしまう。これには彼も驚きのあまり笑っていた。

ただ、走力がGなので、落下位置まで走る姿はかなり変だというのが自分でもわかる。

私の住む県には野球チームが存在することもあり、野球観戦も私の趣味だが、確かにファウルボールとホームランも見分けがつくので、ちょっと飛距離のあるファウルボールに沸き立つ人々との温度差を感じることはあったものの、まさか運動音痴だと思っていた自分に球の行き先を読む力があるとは毛頭思っていなかったのだ。

 

そんなこんなで何回目かのキャッチボールの日、試しに左で投げてみようという展開になった。お互いの変な投げ方見て笑おうぜといったところだ。

最初は彼が投げて、その右とは全く違うぎこちないフォームに笑った。

そして私の番。左で投げた。なぜか今までよりしっくりきた。彼も見てそう思ったらしい。あれ、こいつ左投げじゃね?という空気がお互いの間に流れた。

それからこの日はずっと私が左で投げる練習をする時間になった。

今まで投げる時の腕の動きや下半身の動かし方などアドバイスしてもらったことが、頭ではわかっても出来なかったのに左なら割とできる。思った通りに体が動くのだ。

運動音痴の人にはわかってもらえると思うのだが、運動音痴は頭と体が全く別回路になっている。この回路がつながった時のスッキリ感というのは凄まじい。

 

ちょっと休憩しようと座ったとき、彼が「正直右投げのときのフォームはキモかったけど、左はマジでいい!それっぽい!」と褒めてくれた。

今までキモかったんか・・・キモいてはじめて言ったねアンタ・・・と思ったものの、褒められたことは素直に嬉しく思った。

 

今まで頑なに右でいろんな競技をしてきたが、左でやっていたら何か開花したのだろうか。

「あなたはママに似て運動音痴だから」という言葉に縛られていただけで、本当は何かすごく向いているスポーツがあったんじゃないかと思うものの、もうアラサー、目覚めても遅すぎるのだ。

 

そんなわけで、自分が左投げ右打ちというド変態だということがわかったものの、彼の持っているグローブはもちろん全て右投げ用のため、私は今グローブがない。

購入しようにも自粛期間でスポーツ用品店は軒並み閉店しているし、GW中のネット購入は営業日発送のため意味がない。

なによりグローブも決して安い買い物ではない。左投げのグローブを買って、やるのは彼とのキャッチボールだけである。あまりにコスパが悪いのではないかという雑念もわいてくる。

でも体を動かす機会が増えるのは良い事なので、キャッチボールという新たな趣味を潰してしまうのはいかがなものか。

 

どこかチームに入ればいいのだろうか。女子野球チームとか女子ソフトチーム?

競技未経験、打率は磨けばそこそこ、走力Gだが、入れるところがあれば教えて欲しい。

 

渋谷すばるは私の始祖

 

私の初めての推しの話をしたい。

 

私は渋谷すばるより10年遅く産まれている。私は早生まれのため、学年は9年違いだ。

 

そんな彼を最初に見たのは8時だJだったりする。朧げな記憶だ。

当時小学校低学年だったため、はっきり覚えているのは2001年から放送されていたUSOジャパンのほうだ。

その頃、学校ではモーニング娘。が大流行しており、毎日友達と恋愛レボリューション21でウォウウォウォウウォしていた。

思い返せば私がJ-POPに触れたのは他の人よりも遅かったと思う。

私は幼少期から食うより寝る、遊ぶより寝る、親が心配して耳元で掃除機をかけてみても起きなかったほどのスーパーおねんねベイビーだったこともあり、小学生になっても21時には寝てしまう生活を送っていた。

早く寝るが故に、宿題、晩ご飯、入浴など済ませているうちにゴールデン番組をしっかり見る時間はなくなり、当然流行りの曲などを仕入れるチャンスもなかったのである。

モーニング娘。LOVEマシーンが大流行していた時、なんの話か分からず友達に尋ねたところ、「モー娘知らないの?!」と人外なものでも見るような目で言われ、これはマズいと見ている番組を教えてもらい、必死で見た。

女社会というのは幼稚園保育園からはじまっているもので、流行りに追いつかなければ簡単にハブられてしまう。今なら絶対無理して見ない。ハブられても死にはしないから。

 

そんなこんなでJ-POPと出会い、うたばん、HEY!HEY!HEY!、Mステなど見るうちにジャニーズもバラエティの人としてではなく、アイドルとして知るようになった。

 

なぜ渋谷すばるを推すようになったかというと、中学生になってから始まったごくせん第2シリーズの存在が影響している。

もちろんごくせんに渋谷すばるは1ミリも出ていない。

ただ、ごくせんのおかげで空前の仁亀ブームがやってきたのだ。

私はちなみに赤西派である。クールな男に弱いのだ。

携帯のメール受信の着信音もムラサキだった。だいたいの女子がムラサキか絆を着信音にするもんだから、授業中にムラサキが鳴り響いたときはそれなりにビクついて、その後すぐに私は携帯持ってきてなかったわと安堵する日も少なくなかった。

 

どうも話が逸れがちになるのは癖なので気にしないで欲しい。

 

なぜ仁亀ブームで渋谷すばるなのかというと、ザ少年倶楽部を見るようになったきっかけが仁亀だから。この番組なしに私のすばる堕ちは語れない。

 

なんかジャニーズ沢山見れるぞという触れ込みで見始めたザ少年倶楽部だったが、渋谷すばるの良さに気づいてしまうのは割と早かったように思う。

気づいてしまってからは、もうすごいスピードで渋谷すばるにハマっていった。

まずは断トツの歌唱力。好き嫌いがはっきりと分かれてしまう歌声だったが、私は好きだった。

そしてビジュアル。圧倒的美しさ。ぱっちりとした目、丸くないスッとした鼻筋、そして綺麗な歯並び。手の甲の事情も多感な中学生にとっては最高にクールに思えた。

何よりツボだったのは、あのガリガリな体型。私はガリガリな男が大好きだった。

話せば面白いのに、時折見せる精神の不安定さもたまらないギャップだった。

 

いつしか仁亀ではなく、完全にeighterになっていた。

お小遣いで週刊少年ジャンプを毎週買っていたのがMyojoやポポロになり、中学3年生のときには受験を選抜1で合格して返ってきた滑り止めの私学の受験料でDVDプレイヤーとライブDVDを買ってもらい、高校生になったら絶対ライブに行くんだと鼻息荒くしていた。

 

そして、私は高校生になり、同時期に3組合同の伝説のファンクラブYou&Jが発足された。光の速さで入会した。

そして、バイトに励み、うまれて初めてのライブに参戦するのである。

関ジャニ∞ 全国1-st Tour 2∞6

ライブDVDは何度も見てきた。この日の為にヲタ友を増やし自分のテンションも高めている。準備は万全だった。

そして幕が上がり、関ジャニが私の目の前に出てきた。渋谷すばるもいる。

そんな光景を目の前にして出たセリフが「渋谷すばるって生きてるんだ」だった。

 

当たり前のことを思ってしまうくらい、渋谷すばるは儚くもそこで光っていた。

 

そこからは泥沼のようにハマっていった。しかも私の名義はなぜか座席運がすこぶるよかった。

NEWSやKAT-TUNのライブも地元に来るたび行っていたが、どのグループでもメインステ最前から5列以内、花道横、サブステセンステ最前だったためもう抜け出せなくなっていた。この座席運の良さで、友人からはラクル嬢と呼ばれていた。小悪魔ageha全盛期だったからだろうか。今口に出して読むと恥ずかしくてたまらない。

ちなみに、赤西仁は生で見たことがない。1回目は留学中だったのと、2回目は留学から戻ってコンサート参加したのが私の参戦した次の公演からだった。つくづく縁がないとはこのことだと思う。

オーラがすごいと思ったのは今も昔もただ一人、山Pだ。あんな後光のようなオーラ纏った人間を彼以外見たことがない。加藤成亮先生のうちわを持って参戦したが、しばらく成亮先生を見失うほどのまばゆいオーラだった。あれが推しなら大変だ。

 

ライブ参戦を繰り返すうちに、すばるが1曲目で姿を見せた瞬間に、今日はご機嫌がよろしくないぴえん、だの、今日はどちたのご機嫌さんじゃないの〜!なんて変な見分けまでつくようになった。

地元参戦でも1日2公演はザラだったため、2日で4公演参戦していたが、だんだん物足りなくなって大阪まで遠征し始めた。

ここから、ライブの虜になっていったように思う。

 

当時はガラケーで、できることといえばメールと電話、音楽ファイルをDLして音源聞いて興奮することと、モバスペでリアルタイム日記やブログを更新すること。ヲタとの情報交換や交流はパソコンでやっていたし、当時YouTubeTwitterがあったらもっと狂っていたような気がする。よかったような残念なような。

 

すばるのおかげで、いろんなことを体験できた。

絶対に知り合うことのなかった距離の同世代の子と友達になれた。

エイトレンジャーコスなんかしたときは、私が予想以上に手先が器用だと知ることができた。

団扇のクオリティがすごいと噂が出て、学科が違うから話すこともないと思ったeighterから団扇作成依頼もきて、その子とはのちに大阪遠征もした。団扇、材料費しかもらわなかったけど、今思えば儲けてもよかったナ・・・←

すばるが好きすぎてちょっと無理って理由で彼氏と別れたこともある。

 

遠征しすぎて感覚が麻痺して、同じクラスの親友に「EXILE興味ない?よかったら一緒にライブ行かん?大阪なんだけど。」って誘いに、大阪?全然近いじゃんいいよって二つ返事でのったせいで今の今まで尾を引くヲタク人生にまでなったのは、どうやったって渋谷すばるが始まりなのである。

 

ちなみに、高校卒業後は一緒にライブに行ってた友達がヲタ卒したことで、すばるが脱退するまで行ったり行かなかったりだった関ジャニのライブだけど、DVDだけは律儀に買い集めてた。

そして、すばるが独り立ちして発足したFCにも光の速さで入会して、ツアーも行ってきた。

うまれて初めてすばるを生で見た会場と同じ場所。なにそれエモすぎん?行くしかなくね?って仕事半休とってはじめての一人参戦。

 

今も昔も誰に対しても同担拒否だから一人参戦を選択したけどかなり心細かったし、コロナの影響でグッズも全然買えなくて出だしつまづいたけど、1曲目の「ぼくのうた」の後半の歌詞が今のすばるそのものって感じで一人号泣。重いファンかよ。一番すばるに嫌われそうだな。

泣きながらすばるを見て思ったのは、「渋谷すばるって生きてるんだ」ってこと。

何年経っても、何回見てもそう思わせる渋谷すばるを私はたとえ熱量が変わっても一生応援していきたいと思っている。

私のヲタク人生、すべては渋谷すばるから始まっているから。

 

思い返すと書くことは無限に湧いてくるんだけど、ひとまずこのくらいにして。

また何かきっかけがあれば、つらつらと書いていこうと思う。

 

 

10年以上遠征してるくせに、ポンコツすぎた話

 

自粛期間で遠出もできない、近場で遊ぶこともままならないとなると、過去の思い出に浸るしかない。思い返しただけでも文字数が多くなるんだからどうしようもない。

 

2020.02.23~24、LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA に参戦したときのこと。

 

2020年は長いタイトルのツアーばっかりだなって、このときは呑気に文句言ってた。

タッチの差で2日後に公演中止になったから、間一髪感のある遠征だったし、まずマスクしたまま参戦するってのが初めてだった。

まさかこれ以降全部中止延期になるなんてこの時は思ってもみなかったね。

 

 

この遠征での私は、今までのどの現場よりポンコツだった。

まず、ライフワークにしようとしていたフィットボクシング(任天堂switch)で

前日も汗を流していたところ、新しく出た動きによって背中と腰を痛めて朝から満身創痍。スーツケース持って階段降りたとき、正直涙出た。

 

コロナも怖ければ生粋の花粉症も鼻をくすぐる。ムズムズしすぎて涙も出てくる。

アイメイクを直したくて、ホテルにチェックインする前に荷物だけ預けるタイミングでスーツケースを開ける。

・・・化粧ポーチがない。

必死に記憶を手繰り寄せる。化粧ポーチをスーツケースの横に置いたところまでの記憶が甦る。あぁ、忘れてる。2泊3日だってのによォ、、、

ポーチ出す間にトイレ行ってくるわってトイレへ行った親友に、トイレから出た瞬間「化粧ポーチ、忘れたや・・・」って言った時の親友の顔が忘れられない。

 

ガチャから日用品まで、常々予備芸人と呼ばれるほどのストックを誇る私は、このライブに備えて無くなりかけのコスメは全部新しく新調、今朝の化粧を済ましてポーチに入れていた。

開封した以上無駄に買いたくない。そうだ、気になってたパウダーファンデがあったのよ!田中みな実のやつ!!なんて必死に買う理由探して、ファンデと生命線のコンシーラーだけ買って、あとは親友に借りることに。

本当は背中と腰が断末魔あげてて、「後生だ、これじゃワシ沸けねえよ・・腰に巻くサポーター買いに行かせてくれ・・」って新幹線の中では言ってたのに、限りある軍資金から化粧品もサポーターも買うなんて贅沢出来なかったから、顔面を優先したよね、、顔下半分マスクなのにサ・・・

 

この買い物のためにかなり時間取ってしまって申し訳なさ過ぎた。

あんまり忘れ物のない人生送ってきたけど、過去に双眼鏡忘れて博多駅近くの電気屋でガチ双眼鏡買ったとき以来のヘマ。

今回は前日親友から、「双眼鏡入れた?」ってLINE来たから万事完璧だと過信してた・・・

これは翌日談になるけど、私と親友系統が違うからアイシャドウひとつで結構大冒険だった。ワタシ眼病持ってなくて良かったと心の底から思った。

 

 この遠征だけで、他にも笑える出来事はあった。

 

1日目の登坂ターン中、ライブも後半といったタイミングで

親友「うちはHEYとDiamondSunsetくるの待っとるけー」って言うもんだから

私はセトリも見てないのに、そんな気がするだけで「HEYはないよ」なんて言ってたら

数曲後、HEYからのDiamondSunset 怒涛の攻めに会場のボルテージも我々の笑いも止まらなかった。

HEYきたときは興奮と小笑いだけで済んだけど、間髪入れずDiamondSunsetだもん。爆笑するの耐えられなかった。

 

 

ところ変わってライブ終演後、ホテル近くで夜ご飯食べる場所探してたら、ゴリゴリの外人に道を聞かれる。私、英語ひとつも喋れないのによくこうゆう目に遭う。

 

とにかく道聞かれてるのだけはわかったから、 
私「ドコイキタァイ?」  (もはやカタコト日本語で乗り切ろうとする)

ゴリゴリ外人「・・・?・・・!!ナンバ!」聞いた相手の英語力のなさを瞬時に感じ取って必死に理解してくれた。

まずは信号渡る必要があったから、急いで行くよって言いたいのに単語が出てこない

青信号の歩道指さして小走りで出た言葉が、「GoGoォ~!」郷ひろみが脳内に現れた。

さすがにゴリゴリ外人も笑ってたし、その後ろで親友が爆笑してるのが見えた。親友はうちより英語力があるのに助けてくれない。

地下鉄に誘導するつもりだったけど、そこまでの道にとっくに最終が出たバス停があるから、それ見てゴリゴリ外人が慌てだす。

言ってることはわかんないけど、わかるよ。

そのバス停の時間が終わってるから焦ったんだね。大丈夫、そのバス終わってるの知ってるから地下鉄に案内するつもりだよ。安心して欲しいのに伝えられない。

ノンノンノーンしか言えない。地下鉄ってなんて言うんだっけ?って親友に聞いたら、SUBWAYじゃない?って言われて、いやいやそれサンドイッチやんけなんてお手本みたいなこと言っちゃう自分が後から思い返せば返すほど滑稽。

翌朝、思い出したかのように親友がスマホで検索して「やっぱり地下鉄はSUBWAYだった」って言ってきたのが時間差攻撃すぎて笑った。

 

私「ヒゴバシィステーショ~ン」やっと地下鉄について、割とドヤ顔で言った。

このまま降りて、駅員に聞きなっていいたかったけど、そんなの言えるわけないよね。

案内し終わって、ゴリゴリ外人が「サンキュー、アリガトウゴザイマシタ」って手を合わせながら日本式感謝。

私も同じポーズで「ゆあうぇるかむ。」これくらいは流暢に言える義務教育受けてるのに、ひらがな発音。

ゴリゴリ外人「Bye!」

本物のオシャレByeに興奮したあまり、「「バーァーイ」」って親友と揃いも揃ってひと昔前のギャルみたいな発声で同時に言っちゃって、あまりにも頭の悪いバーイに言った当人たちが膝から崩れ落ちるほど爆笑する。

 

昔から洋楽も好きで聴いてる、海外ドラマも見るし、ヴィクシーモデルも大好き。ただただ英語がわからない。

遡ること小学生時代から外人にはやたらと話しかけられるけど、喋れないからどうか話しかけないでほしい。断れないから。喋れないのに全力尽くして助けちゃうから。

 

 

そんな外人道案内を終えて、居酒屋で晩御飯。

晩御飯も食べ終わって出口の押しボタン式の自動ドア開けたら、WHITE BREATH(T.M.Revolution)のMV並の突風に襲われる。思わずHOWEVER(GLAY)のTERUみたいに仰け反った。この身一つに懐かしの名曲が渋滞してる。腰がひどく痛んだ。

 

後ろをついてきてた親友が突風に襲われる私を見て瞬時にドツボに入って出口を出た踊り場で歩けなくなるほど笑う。風が縦にふいてたとか、髪がビャッてなったとか、色々言ってたけど笑いすぎて失念。

少しして落ち着いた親友は、「ライブで声枯れんかったのに庄や(居酒屋)で声枯れた」という迷言を生み出す。

今思えば、ドアを開ける寸前にバイトのお姉さん言われた「ありがとうございました〜、お気をつけて〜」がフラグでしかなかったってわけ。

ちなみに翌日も同じ居酒屋行って同じ事件に見舞われる。

2度目はもうこちらもドア狙ってた。昨日のは偶然だったんじゃないかって期待してた。

全然期待外れ。突風は変わらず私の体を仰け反らせた。

 

 

 

親友と遠征をはじめてかれこれ12年が経つ。今までライブだけじゃなく、ライブへ行った先で観光地をまわったり思い出を沢山作ってきた。

だけど、こんなに自分のポンコツっぷりを露呈したことはない。

 

これが、老いというものなのか。

 

今はただ、コロナが終息して現場へ行けるようになって、親友から「双眼鏡と化粧ポーチ入れた?」ってLINEが来る日を楽しみにしてる。

彼氏がいることを知った父

yose1-yolo.hatenablog.com

 

この出来事があった晩、私は不在だったため立ち会ってはいないが

仕事から帰ってきた父に、母が私の彼氏が設置を手伝いにきてくれたと言ったらしい。

 

私が22時頃帰宅した際、父から「オォウ?!何時だと思っとんヤ?!」なんて妙なテンションで声を掛けられて私はすべてを察した。

トイレに目覚めた父と深夜帰宅した私が遭遇しても、明らかな朝帰りをしても何も言ってこなかった父に、今更22時に帰宅したところで何かを言われる筋合いはないからだ。

むしろ早いと思うし、アラサーが22時に帰宅しただけで今更何を。

 

前々から、私の親友の結婚が決まったとか、2人目が生まれるらしいだとか幸せな類の話を母が父にするたびに

父が、「娘は可哀想に、あんな性格だから彼氏も出来ん」「理路整然と怒ってくるから俺は何も言えない、きっとどの男にもああなんだ。だから彼氏も出来ない」「彼氏が出来たら彼氏には感謝の気持ちがあふれ出てしまいそう」などと常々言っていると聞いていたため、なんて失礼な言われようだと思っていた。

彼氏がいなかったわけではないし、なぜいないと思っているのかさっぱりわからなかった。

逆にそんな相手がいなかったとして、頻繁に深夜や朝方に帰る私が一体何をしていると思っているのかも気になるところ。

 

母から聞いた話よると、彼氏が手伝いにきたというワードを聞いた瞬間

「ほんまか!」と満面の笑みだったそうだ。感謝の気持ちがあふれ出そうという言葉もあながち間違ってはない反応だったらしい。マジかよ・・・

テレビを購入したその日に、手伝いに来てもらおうかと母に相談した場面にも同席していたはずだが、その時ですら全く彼氏の可能性を考えていなかったらしい。

 

よく聞く、父親が彼氏の存在に不機嫌になるということもなく、100%嬉しそうな反応に複雑な思いを抱くも、まぁ反対されても鬱陶しいなと思ったのだった。

 

 

実際に会ってみた母は、優しい人だと思ったなんて月並みなことを言っていた。

彼女の親が目の前にいて彼女に優しくしない男が世の中にいるのだろうか。私より数十年長く生きている母がそう言うんだからきっといるのだろう。

 

それに余談だが私は常々家族から魔王と呼ばれている。

母には事あるごとにえらいもん産み落としたと言わんばかりの嘆かれ方をされ、弟は歴代の彼女を家に招く際に「うちのトップは親ではなく姉ちゃんだから、とにかく姉ちゃんにだけはちゃんと挨拶してくれ」と頼み込んでいたということを弟が結婚した後に伝えられたくらいだ。

トップである自覚もなければ、弟に挨拶の大切さを説いたことなんて一度もないのに。どうりで毎回彼女がうちの部屋ノックして挨拶してくると思ったよ。

 

私が思うに、そんなお姉ちゃんの彼氏ってだけで、優しい人レベルが5割増しくらいになっているんじゃないだろうか。そりゃ父も感謝したくなるだろう。役得がすぎる。

 

実際彼は優しいし、学習能力が非常に高く私が一度怒ったことは二度とやらない。

こちらがぐぬぬ・・・と言いたくなるほど怒るポイントをうまく回避して、めっきり怒ることがなくなった。

以前は、瞬間湯沸かし器のような怒りっぽさと、一度怒ったら必ず完全論破しないと気が済まないという妙な信念を持っていた私がこんなに穏やかに過ごせているのは間違いなく彼のおかげだと思う。

 

ただ仕事や家では容赦なく瞬間で湯を沸かしている。

今は低血圧人間だけど、いずれ高血圧で死ぬのかもしれない。

 

 

今回、長らく娘の彼氏の存在を黙っておくことに耐えかねていた母が一番ホッとしたことだろう。

別に黙っていてくれと母に重荷を背負わせるようなことは頼んでいないのに。

色々聞かれるのが面倒だといって黙っていた母がスッキリできたのなら、結果良かったと言える。