ちょっとした余生

20代を全力疾走したせいで 今はちょっとした余生のよう

母が骨折した(後編)

yose1-yolo.hatenablog.com

 

 久々に更新したと思ったらまさかの前後編。エンジンの掛け方が非常にへたくそ。

ぜひ前編を読んでから、と言いたいところだけど別に後編から読んでもらっても構わない。

 

昨日は今までの母の骨折遍歴を書き綴った。そして3日前、母はまた骨折した。

5度目だ。2月に足が完治したばかりなのに、半年で再び。

今度は左手首。ことの発端は、母のパート先で私と彼が引っ越しに使う段ボールをいただこうとしたところからだった。

 

母の退勤時間に合わせて彼と段ボールを取りに行く予定にしていたので、母は早めに出勤し段ボールを整理していたらしい。すると、搬入トラック用にスロープのようにしてあるコンクリートの段差につまずき転倒、積み重ねてある発泡スチロールに左手を強打したらしい。

荷下ろししているトラックの業者さんが助けてくれたそうで、「大丈夫??」と聞かれて「大丈夫じゃない、痛い~」と答えたらしい。どうにもできないセリフ。

 

母は、幾度の経験から瞬間的に骨折を確信したものの、土曜日の午前中はお客さんが沢山来るため執念で1時間ほどレジ打ちをした後に、午前診療に間に合うように数か月前まで通っていた整形外科へ急いだ。

病院へ行くと言う母に、店長は労災を使うように言ってくれた。なんとありがたいことだろうか。

 

そして、病院から私に電話をかけてきた。

私はその時 彼とカインズ(おしゃれホームセンター)で新生活の下調べをしていた。

 

働いているはずの母からの電話に、思わず身構えた。

こんな時間に電話してくるということは誰か死んだんか・・・?祖母の時を思い出した。

父?いや、父は家で1人だから死んでても誰も気づかない、したらば叔母?叔父??

心のざわつきを抑えながら電話に出ると、母がなんとも情けない声で、転んじゃったの・・・と言ってきた。私も幾度の経験から母の骨折を確信し、どこ折ったの?と聞いた。するとまさかの左手首。足ばかり折っていたのにいよいよ手。

 

 

段ボールは予定より早く取りにいくことになったものの、病院が終わるまで時間があったのでランチを食べて母のパート先へ向かった。

 

母は律義にも暑い中外で待っていた。車を降りて母を一喝し、一緒に居た社員さんにまずは謝罪した。そして段ボールを車に積み込み、シフトを管理しているパートさんに話をしてくると消えた母を追った。そしてパートさんにも謝罪。

母と仲の良いパートさんなので、「節目節目で骨折するから今回どうなるかなって話してたのよー」と言われた。

私もそれは少し考えていた。でもまさか本当に私の節目でも折るとは。

 

しかしこの話をしっかり考えてみたところ、弟の節目ばかり骨折していたのは、単純に私の人生に節目がなかったからではないかという答えにたどり着いた。

しかし私は結婚するわけでも子供が産まれるわけでもない。実家を出て同棲するだけなのだ。

それで骨折されたら、私が結婚や妊娠した暁には母は爆発して消えてしまうんじゃなかろうか。気は早いが、こうなると節目を作るのが怖い。

 

 

最初に謝った社員さんが、帰り際の母に「復帰の時は川通り餅で」と冗談で快気祝いのリクエストをしていたので、大きな箱で買って持たせますと答えておいた。

母の年齢で骨折して長期で休んでもクビにならないのであれば、川通り餅でももみじ饅頭でもなんでも買うべきだ。

 

 

手首を折った母は自転車に乗れないので、私が母の自転車に乗り、母は彼の車に乗って私の実家へ行くことになった。

テレビの設置(55インチのテレビとご挨拶 - ちょっとした余生)、そして先日うちの両親との食事会という名の顔合わせご挨拶イベントで会っているとはいえ3度目にして母と2人きりにしてしまって彼には申し訳ない。

ただ母はコミュ力の塊、太陽のような人なので無言の心配はない。さあ、行ってくれ。私もこの前後にカゴのついたオバサンカスタムの電動自転車で追う。と別々に出発した。

 

そして私は灼熱の中、自転車にそぐわないワンピースの裾がはためきアラサーの生足が容赦なく晒されるのを必死に押さえ大汗かきながら家まで走った。

 

母と段ボールを家に入れて、汗を拭いて再び外出することとなった。

 

 

 

というわけで、母は全く家事ができなくなった。家事どころか自分でできることがほとんどない状態だ。利き手が無事なのが幸いといったところ。

 

晩御飯はずっと私が作っているから問題ないものの、8月になったらお弁当も自分で作ると言いつつ朝全く起きれず1度しか作っていなかったのが、強制的に朝ごはんもお弁当も自力で作るしかなくなってしまった。

そして家族の洗濯物もさばかなければならない。正直洗濯は同棲するまで全くやらなくて良いと思ってた。同棲してからもメインでするつもりなんてさらさらなかった。

これも実家を出る前の親孝行と修行と思うしかない。

 

 

ここからは余談だが、パートさんがLINEで私のことをかなり褒めてくれていた。

昔から可愛いと思ってたけどさらに綺麗になっただとか、社員さんやパートさんへの対応が素晴らしかったとか。

極めつけには、いつでも可愛いお嫁さんになれますよとお伝えくださいとまで!

ありがたい!そうやって母へお褒めの言葉を送ってくれるそのお気持ちもありがたい!

 

 

 

最後に、パートさんにも言ったセリフをここでも言おうと思う。

 

骨折する前にお皿の漂白と箱詰めしてもらってて良かった!!!