ちょっとした余生

20代を全力疾走したせいで 今はちょっとした余生のよう

ブチかまされた話

 

GWに入る前日の夜。

 

私は仕事に対してかける時間が他者よりも早めらしい。それ故にどうしても何もない時間が出来てしまう。そんな時、事務所に人がいなければそれなりにサボるのだが、事務所に人がいるときはそうはいかない。1週間のスケジュール見ながらゆっくりやれば良いのはわかっているのだけど、ゆっくりダラダラやってたら集中力が散漫になってミスしそうで結局いつものハイペースでやらざるを得ない自分の不器用さが憎い。

手持ち無沙汰さが凄い私は一日中、「今日が終われば休み、今日が終われば休み」って脳内で連呼しながらなんとかやり過ごして連休前最後の出勤を終えて疲れ果てた状態で帰宅した。暇疲れって一番しょうもない。

鞄を定位置に、手を入念に洗って飲み物をコップに注ぎ部屋に入ってソファに座った。ため息をひとつ。それに答えるようにブーンって聞こえた。

ブーン?

結構な大きさの虫だと察するには十分な羽音に恐る恐る上を見上げると、シーリングライトの端にシルエットが見えた。なんかホームベースみたいな形、一目で悟った。

カメムシじゃん・・・

 

私、地方に生まれ育っているとはいえ決して田舎っ子ではないので、カメムシに遭遇したのは中学校の階段の踊り場以来。遭遇したと言っても臭いに遭遇しただけ。騒ぐ同級生からその臭いの根源がカメムシだと聞いただけ。だけなのだ。

正直そんな馴染みのある相手じゃない。残念だけどGのほうが馴染みある。ごく稀に洗濯物にカメムシがとまってて、それをハラリと追い払った母親がリビングに戻って来てから一連の流れを話した後に「今年の冬は寒くなるかもね~」なんてのんびり言う、私にとっては実体のないヤツでしかなかった。

中学校の踊り場での惨劇が甦る。皆がパニックに陥ったあの不快な臭い・・・それが唯一あるカメムシの記憶・・・

 

私は飲み物を注いだコップを手に静かに部屋を出た。そしてドアをそっと閉める。

リビングには父がいた。声を掛ける。

 

カメムシがいるんだけど、捕まえたことある?生死は問わないのだけど」

 

父は答えた。

「捕まえてやろう、お願いしますと言え」

 

親のくせになんて物言いだと思ったが、私はさらに問いかけた。

「お願いする前にもうひとつ。生死は問わないが、放屁させない自信はあるか?」

 

父は笑った。

「それはどうだろうな、約束できない」

 

そう言った父の言葉を聞いて私は断った。生死は問わないが放屁だけは避けてもらわなければいけない。私は部屋が片付けられない病気だ。そんな荒れ果てた部屋で放屁なんてされたらおしまいだ。どこに臭いがつくかわかったもんじゃない。母の帰宅を待つことにした。

 

ダイニングで立ったままお茶を飲み、IQOSを吸って母の帰宅を待つ。時折そっとドアを開けてライトを見る。少しずつ移動しているのが怖い。まるで爆弾を体に巻き付けたやつが部屋に立てこもってるくらいの緊張感。

母を待っている間何もしなかったわけではない。カメムシ 臭いを出させない 捕まえ方 の検索を怠らなかった。目を皿にしていろんな記事を読み漁る。

掃除機で吸うのは無理だ、私自身は愛着ないけどこの前買ったトルネオにそんなことさせて母がどう思うか・・・

中性洗剤と水を混ぜた液体をペットボトルに作り、飲み口をカメムシにあてがってペットボトル内に落下させる。これが一番できそうだったが、これによってできるカメムシ水をいつまで保管し、いつ廃棄すれは臭いがしないのかまでが書いてない。ダメだ・・・

 

そうこうしているうちに母が帰ってきた、いつも通り買い物袋を両手に階段を上がり息切れをしている。そんなのおかまいなしに声を掛けた。

部屋にカメムシがいるから捕獲して欲しい。生死は問わないが放屁だけは避けたい。

母は全てをすぐに理解し玄関に荷物を投げ置いて部屋に行こうとしてくれた。それなのに活躍したかったのであろう父が先に部屋に向かう。全くお呼びでない。

部屋から出て母に任せろと叫ぶ私、この部屋狭いんだからあんた部屋から出なさいよと言う母、カメムシを見上げヘラヘラフラフラしてる酔っぱらいの父。カメムシが居る居ない関わらず部屋がカオスだった。

その間にもカメムシはライトの上をチョロチョロと移動している。正直ここまで父が憎いと思ったことはない。何度も言うが私は部屋を片付けられない病気だ。部屋は片側一方通行状態なのに部屋の真ん中でヘラヘラとふらついてる父が邪魔以外の何物でもなかった。

 

なんとか父を部屋から出すことに成功した。なぜカメムシと対峙する前にミッションがあるのかわからないが、やっと向き合う時間がやってきた。

母がティッシュを片手にライトの真下にあるテーブルに立つ。我が家で一番小さい母はギリギリ手がたわない。でも私は声援を送ることしかできなかった。

奇跡的にカメムシが母のティッシュに向かって歩いてくる。「そうだ、こっちにおいで~」母が優しく声を掛ける。これなら逃がす方向でいけそうだ。

 

ティッシュに乗ったカメムシをふんわりと包み、その様子を見て事態はなんとか収まりそうだと私は安堵した。そしてその手をおろした母がティッシュを見て言った。「あ、全然掴めてないわ」そう言って包み直そうとした瞬間、カメムシが飛んだ。そして母のお腹に止まった。私は思わず奇声をあげた。

「あれ?どこいった??」「ママのお腹に止まってる!!」「どこ?いないよ」

あろうことかこの日母が着ていたのは深緑のチェックシャツ。カメムシが紛れるには十分すぎる色味だった。私には見えているが母には見えていない。

どこ?なんて言いながら母は自身のお腹を手で払った。そこにはカメムシが止まってるのになんでそんなことを。その瞬間、またカメムシが飛んだ。私はまた叫んで、思わずドアを閉めた。

 

あれ?床に落ちた?と言う母に、ドア越しに上に飛んだよ!と叫ぶ。母は恐怖心がないのに見えない、私は怖いばかりなのに見える。なんて皮肉なことなんだろうか。

 

しばらくして、あ!おった!という母の声が聞こえてドアを少し開ける。あの日の踊り場を思い出す臭いがした。カメムシの居所なんかどうでもいい。全部終わった。

 

ブンブン飛び回るカメムシを母が丸腰で追いかける。もう終わった、かまされた、部屋が臭いと言っても母は何も感じていないようだった。爆心地だからであろうか。

丸腰ではあまりに不利なので、母の指示でフマキラーを取ってきた。ドアを10センチだけ開けて手渡す。「これゴキブリ用のじゃん。まぁしょうがないか。」と再び戦地に戻った母。カメムシ用のフマキラーでも用意があったのだろうか。

 

フマキラーの噴射音がかなり聞こえる。カメムシの放屁にフマキラーの乱射、私の部屋は一体どうなってしまうのだろう。「弱ってきたよ!」という声かけがあったため、床に落ちたのか問いかけたところ、「まだ飛び回ってるけど、苦しそうにしてる!」と返ってきて少し笑ってしまった。うちの母はナウシカか何かなんだろうか。

 

しばらく格闘の末、カメムシは息絶え、トイレに流された。

 

そしてドアを全開にすると、やはりどうやったって臭い。泣きそうだった。

一部始終を父に話すと、ほれみたことかと言わんばかりの顔で、ワシに任せれば良かったかもしれんで、と言った。確かに父も元は野山を駆け回るダンスィだったわけだし、母がやって放屁されたのだから、父にやってもらって失敗された方がいっそすがすがしかったかもしれない。それに成功するかもしれないという希望もまだ残っている。

 

母は、何度部屋を嗅いでも臭わない、気にしすぎでは?と言ってのけたので、戦場の第一線で戦ってるやつらはきっと血なまぐさいだとか火薬の臭いなんて感じない、それと一緒だと言っておいた。戦場の第一線、行ったことないけど。

その後すぐに、母は自分の着ているシャツの腹部分が臭いことに気付いた。そこが爆心地に違いない。

 

そして負い目を感じたのか、窓を開け部屋の消臭スプレーを吹きまくっていた。換気扇も回す。

 

晩御飯は海鮮巻だった。キュウリが入っているものを口に入れた瞬間、色々と思い出してしまい思わず吐き出してしまった。母に少し叱られた。これが悪いことなのか私にはもうわからなかった。

 

明日から休みだと言うのに部屋が終わるなんて、と思いながら、いつもなら晩御飯の後は部屋に戻るところをリビングで過ごした。

ちょうどラプンツェルが放送される日で、観たことがないので観ることにした。

ディズニーとジブリにあまり興味がなく馴染みがないまま大人になったので、いつもなら絶対に観ないのだが部屋に戻れないので仕方がない。CMの度に部屋へ潜入し、消臭除菌のためにファブリーズを吹きかけた。

 

そんな理由で見始めたラプンツェルだが、これが面白いのなんのって。

マキシマス(馬)がいいキャラしてるし、ユージーンいい男やん・・・

他にもこんな感じで面白いディズニー映画なら見たいと思ってしまった。

 

カメムシのせいで失うもののほうが多かったのは紛れもなく事実だが、ラプンツェルが面白いと知れたのは唯一の収穫と言える。

 

部屋も、家じゅう寒くなるくらい換気してCMごとに消臭除菌したのでなんとか過ごせる状態には戻った。なにより爆心地が母のお腹だったのがよかったのかもしれない。

 

以上がGW前夜にブチかまされた話。初日に旅行行く予定とかなくてよかったと心底思った。だってかまされた部屋じゃ荷造りできないもの。