ちょっとした余生

20代を全力疾走したせいで 今はちょっとした余生のよう

母が骨折した(後編)

yose1-yolo.hatenablog.com

 

 久々に更新したと思ったらまさかの前後編。エンジンの掛け方が非常にへたくそ。

ぜひ前編を読んでから、と言いたいところだけど別に後編から読んでもらっても構わない。

 

昨日は今までの母の骨折遍歴を書き綴った。そして3日前、母はまた骨折した。

5度目だ。2月に足が完治したばかりなのに、半年で再び。

今度は左手首。ことの発端は、母のパート先で私と彼が引っ越しに使う段ボールをいただこうとしたところからだった。

 

母の退勤時間に合わせて彼と段ボールを取りに行く予定にしていたので、母は早めに出勤し段ボールを整理していたらしい。すると、搬入トラック用にスロープのようにしてあるコンクリートの段差につまずき転倒、積み重ねてある発泡スチロールに左手を強打したらしい。

荷下ろししているトラックの業者さんが助けてくれたそうで、「大丈夫??」と聞かれて「大丈夫じゃない、痛い~」と答えたらしい。どうにもできないセリフ。

 

母は、幾度の経験から瞬間的に骨折を確信したものの、土曜日の午前中はお客さんが沢山来るため執念で1時間ほどレジ打ちをした後に、午前診療に間に合うように数か月前まで通っていた整形外科へ急いだ。

病院へ行くと言う母に、店長は労災を使うように言ってくれた。なんとありがたいことだろうか。

 

そして、病院から私に電話をかけてきた。

私はその時 彼とカインズ(おしゃれホームセンター)で新生活の下調べをしていた。

 

働いているはずの母からの電話に、思わず身構えた。

こんな時間に電話してくるということは誰か死んだんか・・・?祖母の時を思い出した。

父?いや、父は家で1人だから死んでても誰も気づかない、したらば叔母?叔父??

心のざわつきを抑えながら電話に出ると、母がなんとも情けない声で、転んじゃったの・・・と言ってきた。私も幾度の経験から母の骨折を確信し、どこ折ったの?と聞いた。するとまさかの左手首。足ばかり折っていたのにいよいよ手。

 

 

段ボールは予定より早く取りにいくことになったものの、病院が終わるまで時間があったのでランチを食べて母のパート先へ向かった。

 

母は律義にも暑い中外で待っていた。車を降りて母を一喝し、一緒に居た社員さんにまずは謝罪した。そして段ボールを車に積み込み、シフトを管理しているパートさんに話をしてくると消えた母を追った。そしてパートさんにも謝罪。

母と仲の良いパートさんなので、「節目節目で骨折するから今回どうなるかなって話してたのよー」と言われた。

私もそれは少し考えていた。でもまさか本当に私の節目でも折るとは。

 

しかしこの話をしっかり考えてみたところ、弟の節目ばかり骨折していたのは、単純に私の人生に節目がなかったからではないかという答えにたどり着いた。

しかし私は結婚するわけでも子供が産まれるわけでもない。実家を出て同棲するだけなのだ。

それで骨折されたら、私が結婚や妊娠した暁には母は爆発して消えてしまうんじゃなかろうか。気は早いが、こうなると節目を作るのが怖い。

 

 

最初に謝った社員さんが、帰り際の母に「復帰の時は川通り餅で」と冗談で快気祝いのリクエストをしていたので、大きな箱で買って持たせますと答えておいた。

母の年齢で骨折して長期で休んでもクビにならないのであれば、川通り餅でももみじ饅頭でもなんでも買うべきだ。

 

 

手首を折った母は自転車に乗れないので、私が母の自転車に乗り、母は彼の車に乗って私の実家へ行くことになった。

テレビの設置(55インチのテレビとご挨拶 - ちょっとした余生)、そして先日うちの両親との食事会という名の顔合わせご挨拶イベントで会っているとはいえ3度目にして母と2人きりにしてしまって彼には申し訳ない。

ただ母はコミュ力の塊、太陽のような人なので無言の心配はない。さあ、行ってくれ。私もこの前後にカゴのついたオバサンカスタムの電動自転車で追う。と別々に出発した。

 

そして私は灼熱の中、自転車にそぐわないワンピースの裾がはためきアラサーの生足が容赦なく晒されるのを必死に押さえ大汗かきながら家まで走った。

 

母と段ボールを家に入れて、汗を拭いて再び外出することとなった。

 

 

 

というわけで、母は全く家事ができなくなった。家事どころか自分でできることがほとんどない状態だ。利き手が無事なのが幸いといったところ。

 

晩御飯はずっと私が作っているから問題ないものの、8月になったらお弁当も自分で作ると言いつつ朝全く起きれず1度しか作っていなかったのが、強制的に朝ごはんもお弁当も自力で作るしかなくなってしまった。

そして家族の洗濯物もさばかなければならない。正直洗濯は同棲するまで全くやらなくて良いと思ってた。同棲してからもメインでするつもりなんてさらさらなかった。

これも実家を出る前の親孝行と修行と思うしかない。

 

 

ここからは余談だが、パートさんがLINEで私のことをかなり褒めてくれていた。

昔から可愛いと思ってたけどさらに綺麗になっただとか、社員さんやパートさんへの対応が素晴らしかったとか。

極めつけには、いつでも可愛いお嫁さんになれますよとお伝えくださいとまで!

ありがたい!そうやって母へお褒めの言葉を送ってくれるそのお気持ちもありがたい!

 

 

 

最後に、パートさんにも言ったセリフをここでも言おうと思う。

 

骨折する前にお皿の漂白と箱詰めしてもらってて良かった!!!

 

母が骨折した(前編)

しばらくブログから遠ざかってしまっていた。

毎週末なにかと忙しい。何かと忙しいのに、まだ引っ越しの荷物をひとつもまとめていない。掃除ができない病気なので、荷造りまでが遠いからだ。

 

タイトルにもある通り、母が骨折した。

母は骨がもろい。今まで骨折してきたのは4回。

 

1度目は、私が中学生のときだった。

21時には寝る超おねんねベイビーから、ハードな吹奏楽部入部によって0時前まで忙しいの上等になっていた頃。

 

ある夜、母は出かけていた。0時過ぎには帰ると言っていたのになかなか帰ってこず、そうそう子供を置いて出かけるタイプの母親ではなかったため、これがとても心配になった。

母が帰るまで、寝ずに待っていようとワンナイの録画を見ていた。

すると、1時過ぎだろうか、ドアの開く音とともに蚊の鳴くような声で「ただいま・・・」と聞こえた。

もう、遅いよ~と振り返ると、母の顔は血まみれだった。雨に濡れたサドルを拭くために自転車に忍ばせていたタオルを顔に当てていたが、そのファンシーなゾウさんのタオルも血まみれだった。

私はとても動揺した。動揺して家族が寝静まった深夜に小声でオロオロしているのに対し、母は「大丈夫、血が出てるから大丈夫」としきりにつぶやいていたのを覚えいる。

脳出血を恐れていたのかもしれない。

 

私の住んでいる地域は橋が多い。母は、自転車に乗ってそのいくつもある橋を渡って帰路につこうとしていた。だいたいの橋のたもとは緩やかに曲がっている。その曲がりに合わせて境界ブロックが敷かれているのだが、そんなのは知っているはずなのに深夜故見えず、母はまっすぐに突っ込んだらしい。すると自転車ごと吹っ飛んだ、さながらE.T。

母の自転車には、傘がさせる棒がついていた。雨の日でも安心の装備だ。

自転車ごと浮いた母は無事に着地したものの、その棒が顔を直撃したらしい。

そして鼻と前歯が折れた。手術もあって、記憶の中で一番辛そうな骨折だったと言える。母のきれいな鼻が少し曲がってしまい、前歯は差し歯となった。

 

2度目は、弟の小学校の卒業式当日の朝。母は準備に急いでいた。

リビングからダイニングへ小走りで移動する際、並べてあるスリッパに足の小指が引っ掛かった。そして、あろうことか反対の足でそのスリッパのかかと部分を踏んでしまった。母はその突っ張り作用で飛んで、食器棚に突っ込んだ。

私は終始目撃してしまい、一番に食器棚で顔を打っていないかの心配をした。

なぜなら、1度目の骨折からそう期間が開いていなかったからだ。

幸い手がちゃんと出たので、顔は無事だった。そしてしきりに足が痛いと言っていた。

それでも今日は息子の晴れ舞台。準備して行かねば。自身を奮い立たせて準備を続けた。

私は弟に好かれていたため、お姉ちゃんも卒業式きてねと言われていたので母に同行した。痛いという足はどんどん腫れていき、パンプスも体育館用のスリッパも履けなかった。卒業式の全工程を終え、私と母はクラスの懇親会に行く予定だったが、母は病院へ行って合流することになった。そうして先に懇親会の会場へ行き食事をしていると、遅れて母がやってきた。松葉杖をついて。あの入場シーンはなんだか圧巻だった。

ちなみに私と弟は3学年違いなので、骨折後に私の高校入学のための物品購入があった。家から見えるほど近いのにタクシーで行き、途中痛みをこらえて歩く母が不憫ですごく適当に注文してしまった。以降3年間、それによる弊害が少しあった。

 

3度目は、弟の結婚式の1か月前だった。結婚式で必要な荷物を受け取り家の下のちょっとしたくぼみにつまずいてまたもや足を骨折した。大事な荷物を守るため、手も出せず転んでしまった。

当日は痛みをこらえてギプスを外し、留袖を着て結婚式に参列した。

2度目3度目が弟の節目の直前ということで、弟の人生の節目に母は骨を折ると言われていた。

 

そして去年の暮れ、4度目の骨折をした。

県外に転勤となった弟がこちらへ帰ってくる直前、奥さんが妊娠したという報告を受けて満を持して骨折した。ゴミ捨てのため階段を降りていたところ、最後の1段を踏み外して足の甲を折った。

両手のゴミ袋も離せず、ありのままの姿で転倒した。

また弟絡み、もうこれは弟の人生の節目で骨折するというのが我が家で確たるものとなった。しかもここまで全部自損。せめて賠償金が出るような骨折をしたいと母は毎度嘆いていた。

ちなみにこの骨折が一番修羅だった。不自由なのに任せっきり体質の父と、不自由さにイラつく母が大喧嘩(母初めての口答え)して家庭内別居となり家の居心地は最悪に。

そして年末、私と遊ぶついでに 母のお見舞い・年末のあいさつ・年越しが危なそうな我が家の愛犬の顔を見に訪問してくれた親友がその時は自覚症状がなかったものの結果インフルにかかっており、10分も会っていない母が連日の安静生活で免疫力がガタ落ちしたせいか感染してしまいかなり寝込んだ。

そしてウイルスのせいか、強打していたせいか、折れていないほうの膝に水がたまり熱を持ち、骨折よりもつらい痛みが母を襲った。苦しんだのちに、三が日にも関わらず旅行先から帰ってきた先生が診療所を開けて処置してくれた。弟は翌日の朝帰る予定だったものの、熱と膝の痛みに苦しむ母に夜通し付き合っていたらしい。

あの時の母は、鼻を折ったときより悲惨な状態だった。

 

 

ここまでが、今までの骨折歴だ。

母の骨折歴を語るだけで2,000文字も使ってしまった。

やっとブログ熱が最熱したので、後半へ続くことにする。

 

 

どうしても腹筋はしたくなかった

 

年齢が上がるにつれて、おかしげな体形になってきたように思う。

もともとお尻が大きく太ももが太め。でもそんなに気にするようなものではなかった。

しかし年々、いかにもいい球投げる投手か、長距離打ちそうなバッターのそれと同じような下半身になっているような気がする。父には、ソフトボールの選手みたいだと言われた。どう考えても父からの遺伝なのである程度の自責の念くらい持っていただきたい。

 

そして今一番の悩みの種は、お腹だ。妊娠の経験はないのに、何か宿ってないと納得いかないポッコリが存在し始めた。

そうなる前は、文化部かつ運動音痴なのでスポーツをしてこなかったが、どんなに食べてもお腹だけはペッタンコだった。友達にも褒められるほど綺麗なお腹をしていた。

厳しさに定評のあった吹奏楽部でトランペットを吹いていたときは見事な縦筋があったし、何年か前にノロウイルスに罹った時は、夜通し吐いただけで同じ縦筋が入ったほど筋肉丸見えのお腹だったのに。それが今は何かを宿している。これがミートテック・・・?

 

今の体重はベストから4キロほど増えた状態。これでも9キロ増えたところを去年ウォーキングと晩御飯の白米を絶って5キロ落とし、4キロ増にとどめている。

10キロも増えたのに写真で見るとあまり変わっていない。

だから10キロに至るまで気付かずブクブクと太っていたのだが、これはお腹より上の上半身や顔があまり太らなかったからだと思う。いいような、悪いような。

太った原因はわかっている、転職して1日中ほぼ座っているようになったことと、お中元お歳暮の量が半端なく、しかもほとんどが高級なデリシャスお菓子ばかりだったことだ。夢中で食べたら、次の年にはスカートを買い替えなくてはならなくなった。

 

目下の悩みであるお腹をへこますには腹筋が一番だということはわかっている。でも私は運動が苦手。腹筋しようにも部屋は狭く、なにより気がすすまない。

ってか1人で腹筋するのってハードル高いじゃん。誰か私の足先をお尻で踏んでほしい。

 

どうしたもんか、やはりシックスパッドを買うしかないのか、いやしかし高い。

そんな中でふと思いついたのがコルセットだった。

以前Twitterで元鈴木さんのツイートを見たことがあった。それに、よく見ているブロガーさんも何人か試していて、若干のPRみはあるものの試しにやる価値はあると思えた。

 

肋骨は簡単に動く骨らしく、コルセットで締めることで閉じていくそう。

姿勢もよくなりインナーマッスルも鍛えることができるという声も。

そしてお腹の脂肪がバストとヒップの方へ流れるとも言われており、メリハリある体になれるんだとか。

くびれが欲しいわけでも、今が寸胴で悩んでいるとかはない。なんならお尻が大きいグラマラス下半身なのでお腹の脂肪は100バストへ流れていただきい。

ただ、お尻がこれ以上大きくなることよりお腹周りを絞ることのほうが急務。

巻くだけで肋骨が閉じて姿勢も良くなるわけだから、とりあえずコルセットを使うことにデメリットがなかった。

 

 そうと決めたら早速コルセットを買った。

 

 私が買ったのはこちら。

 

家で短時間、ガチのマジで締め上げる用

 これは紐で締めるタイプのもの。

仕事しながらこの締め付けはしんどいと思い、休日頑張る用に購入。

日曜日、部屋着のTシャツの上からこれを巻いて晩御飯を作っていたら母に笑われたが、翌朝着替える際に私のお腹を見てくびれに驚き「ママも買おうかなそれ・・・」と言わしめた逸品。

 

 

仕事用

通気性と姿勢を整えることを重視したもの

 

仕事中でも結構締めておく用

 

仕事中は姿勢を良くすることに注力したいので、紐でギチギチではなくホックのみの物を。

上は、毎日つけるにしてもチートデイは設けたいので、通気性と多少の動きやすさを重視したもの。(ブラックを1つとベージュを1つ)

下は、紐のやつほどキツくはないけど、それなりに締めておけるもの。(ベージュを2つとブラックを1つ)

 

予備芸人と呼ばれる私なので、最初から洗い替えや服の色に合わせて変えられるように2色揃えてしまう。レビューも細かく見たし、安いから良いのだ。

事実、どれも買って正解だと思える品だった。

 

 

まだ初めて1週間ちょっとと言ったところだが、母が見て驚く程度のくびれが出現しているらしい。もともと寸胴ではなかったので鏡を見ても自分では変化がわからない。

 

でも、かつて小学生時代に夕方薄暗いリビングでテレビを見ていたところ母に悲鳴を上げられ「(当時亡くなったばっかりだった) ばあちゃんがいるのかと思った・・・」と驚かせてしまうほどの猫背だった私の背すじが、自分でもわかるほど真っ直ぐになってきている。

パソコンに向き合う視線がいつもより高いのだ。これは良い傾向ではないだろうか。

 

しかも何がすごいって、コルセット外した後も姿勢を正した状態があまり辛くないのだ。気付いたら自然にスッと背すじを伸ばすようになった。

 

 

こんなことなら最初にウエストを測っておけば良かったと後悔したけど、とりあえずこの週末ウエストを計測して今後の変化を数値化していこうと思う。

 

 

 

でも体は正直だぜ・・・?とかいうやつ

 

私の勤める会社は、少数精鋭で成り立っている。

私が入社したときは、総務だけで3人態勢が基本だったが、紆余曲折あって私1人になった。

1人で3人分の仕事、大変なんじゃないの?と思うかもしれないが、これがバチクソ楽なんすよ。

他に人がいたときは、意味もなく頭痛が止まらず、高熱を伴う風邪を引きがちで、こっちだって辛いのに「休みすぎだけど絶妙に査定に響かない日数なんだよな~」と部長から遠回しに文句を言われ (そもそも査定の日数知らないし、そこまでは疑われてないけど嫌味っぽい)

給料からは欠勤分を容赦なく引かれ、熱が出るたびに病院代はかさみ、トホホな日々が3年弱続いていた。だけど最後に後輩が辞めて1人になった2年半前から、相変わらず現場のために有休は使うもののなんと無遅刻無休。

もうすぐ入社して丸5年だが、1人になってからのほうが断然楽なのだ。

タスクが増えるのは苦ではない。処理速度には自信ある。

ただひとつ、人間関係が私を苦しめる。その当時は毎日必死にやってたからわからなかったけど、今ならわかる。私お局に嫌われてた。他部署の同い年の人には彼氏を取られたくないって意味の分からない理由で初対面から嫌われてた。この理由については後から別の人に聞いた話だから、当時は冷たい人だとしか思っていなかった。今からでも言いたい、私にも異性の好みがあります。てか推しのこと言ったじゃん。好みわかるだろ。危機感感じる前にゆるキャラみたいなぽっちゃりさんの彼氏とうちの推し見比べてみな。

・・・失礼しました。

 

私は、どうも忙しい時期に入社したらしく、誰にも何も教えてもらえぬまま野生で育った。いきなりの実戦、正直普通ならできないようなこともやってのけた。でも、それでミスでもしようものならお局は私を怒った。いや、意味わかんない、赤ん坊になんで喋らないのって怒るようなもんだろ。そもそもなんでそんな時期に採用しちゃったの。

完全に指導不足なのに、お局に怒られる。当時は何も教えてもらってないからなんてことは考えず、うっせーババアと思いながらやっていた。反骨精神が強すぎる。そして我ながら完全に鈍い、鈍すぎる。真理に気付かないまま体調を悪くしていたのだ。

 

お局は年齢を理由に夏に退社が決まっていたが、同い年の女は社長と衝突して突発的に同時期に辞めることになった。2大ストレスが同時に消えた。

これも2人が辞めたあと、少し軽くなった心と体で気付いた。自分の鈍感力が寿命を縮めているのではないかと思う。

そしてその後、割と仲良く話す仲だった後輩も辞めたが、これも私を軽くした。誰かと協力するより1人のほうが気楽でしかも早く終わる。人が絡むことでかかるロスとしがらみがなくなって、心も体も絶好調になった。

 

そして、昨年春に中途で新入社員が3人入ってきた。1人は私と同じポジションだった。

正直いらないと思った。でも仕方ない、教えよう。

私は、自分の手間を最小限にするためにあらゆる資料を作成した。馬鹿でも見たらわかる、いい金額で売ってもいいくらいの資料を私よりも15歳は年上の女性に手渡した。

なのに、これがわからないんです。→資料のここに書いてますよ?の繰り返し。

私は気づいた、馬鹿でもわかる資料、馬鹿はそもそも読まない。自分で考えることをしない。私はまたひとつ賢くなった。

すいませんよせいさん、すいませんよせいさん、すいませんコールが鳴りやまない。すいませんが苗字で、よせいミドルネームなんか?ってくらいすいません言うじゃん。

謝るくらいなら自分で考えて欲しいし、その気がないのに謝るなら鬱陶しい。

他部署の新入社員で1つ下の男性も同じような人だった。他部署とはいえマルチタスク抱えがちな私も教えられることがあるせいで、結果的に2人を相手していた。

新入社員の3人が、社内で手厚く研修だなんだ受けているのを見て、心のどこかで不満を感じていた。私の時には全くなかった、どれも初めて見聞きするものだった。

そんなのも教えてもらわずに、よくここまできたよ。あのとき怒られた意味、今思えば理不尽だったこと、色んな気持ちが渦巻いていた。

 

1ヶ月は根気よくやっていたが、私は知らぬ間にまたストレスを抱えていた。

腹下しが止まらなくなった。何をしてもお腹の具合が悪い。

私は消化器内科へ行った。検便までした、結果は異状なし。医者から言われたセリフは、ストレスですかね、何かありました?だった。

そうこうしているうちに、同部署の人は大きなミスをして、別部署の人は求めるレベルと合わず、結果的に2人とも辞めた。腹下しも止まった。

 

社長に、私のフォローのつもりで総務の人員を増やそうと採用したが、また1人になってしまった。大丈夫か?と聞かれた。

私は思わず言った。「私の現状に足りないところがあるなら採用すべきですけど、ないのなら一生1人で大丈夫なのでいらないです」と。

それ以降、3人分の仕事を1人でやっている。今までの総務の人ら一体何してたの?と思うくらいやることが無さ過ぎて暇な時間に苦しむときすらある。今その時間使ってこれを書いてます

 

そして今月、またしても新入社員が入ってきた。他部署だけど、小さい会社だから斜め後ろにいる。でも今回の人は経験も知識も沢山持ってるし、ある程度の年齢の男性だから常識もありそう。

でも、元気の良い「わかりました!」「承知しました!」「ありがとうございます!」に結構ビックリしてしまう。

指導や研修の為に、普段事務所に私1人のはずなのにみんなが事務所にいるスケジュールにしている。それもまた窮屈だ。

 

既に今週、私は毎晩ソファで化粧も落とさず寝落ちしている。

今週は暇な日が多かったくらいなので、疲れている自覚もない。

なのに夕飯を食べたあと一服しようとソファに座って、気付いたら朝なのだ。

体は正直だぜ・・・? どっかのやっすいエロ漫画みたいなセリフが頭をよぎる。

早く元の生活(1人事務所)に戻るか、この状況に慣れるかしたいところだ。

 

 

いい女と私は骨格から違う

 

土曜日、2ヶ月おきに通っている美容院に無事行くことが出来た。

次回予約をすれば値引きしてもらえるので、毎回2ヶ月後に予約を取っている。

セミロングだった髪をばっさりとショートカットにしたのが2年前。

それから、目指せ程よいロングと思い伸ばしているのだがこれがなかなか伸びない。

やっと肩につくくらいまで伸びたのだが、私は剛毛かつ多毛、そして天パなのだ。

幼少期は全く髪の毛が生えず、赤ちゃんの時の写真は全部ハゲ。赤ちゃん筆も作ることが出来ず年中さんまで切らずにやっと肩甲骨まで伸ばすことができたが、それはそれは立派なお姫様たて巻きカールだった。

天パは年齢とともにクルクルからうねりに変わっていったのでそう大した悩みではないが、多毛がすごい。もう増えるわかめにも劣らぬ勢い、毎回驚く量を梳いて、2ヶ月後にはまた増やして美容院へ行く。自分の髪の毛ながらそのシステムがよくわからない。

赤ちゃん時代のハゲっぷりはその後の多毛への助走だったのか。

プリンは気にならないが多毛は生活に支障が出まくるので、やっとスッキリして気分爽快だ。

 

そして日曜日、彼と街中の電気屋へ向かった。新生活で購入する掃除機をトルネオからダイソンに変更したそうで、実機を見るためにはせ参じた。

結局決めたのはこちらの商品。

 私としては、掃除については丸投げでお任せすると宣言しているので、ダイソンだろうがトルネオだろうが好きなものを選んでくれたらと思う。

ただ、毎回この手の家電を見ていて店員さんに話しかけられると、必ず私に向かって熱心に説明されるので、常に彼の斜め後ろに立つようにしている。

私がこだわりたいのは、冷蔵庫と鍋フライパン包丁などの調理器具だけだ。

 

実機の性能に満足し、お昼ご飯を食べてカラオケへ行くことにした。

ジャンカラは、無人受付となっていた。機種をお選びくださいの画面に出てきたのがJOYSOUND一択で我々は泣いた。DAMを愛しているからだ。

でも、フリータイムで6時間くらい楽しんだ。本人映像が少ないのと音質が好きではないのが難点だが、歌いたい気持ちがあっさりと勝った。

 

歌い終わってから、晩御飯何食べようかとぶらついていると、オシャレイタリアンが目に入った。中にはオシャレ女子会をしている人達やオシャレカップルが肩を寄せ合ってワインを飲んでいるのが見える。

私の職場の近くだったので、ここのイタリアンは立派な窯があるらしいからピザが美味しいかもしれないねと言うと、俄然気になったようでそこに決まった。

やたらオシャレな空間に入ると、馬鹿みたいな会話しかしない私たちの口数は途端に少なくなる。

彼はいつもピザといえばマルゲリータしか食べない。私も無難で安心なのでマルゲリータにしたいところではあるものの、同じのを頼むのは勿体ない気がしてチーズ系のピザを頼むようにしている。

メニューを見ると、4種のチーズピザはちみつがけというピザがあった。4種のチーズまでは最高なのに、はちみつをかけるというオシャレさ。未体験の味を想像できないので怖い。

結局、私がイタリアンを食べるときの定番カルボナーラを頼むことにした。

彼は下戸かつ運転手なので、私だけお酒をいただくことにして、メニューを見る。

ここはワインかしら。店員さんを呼び、口から出てきたのは「ジンジャーハイボール」だった。ジンジャーハイボールは私の一番好きな飲み物だ。ワインでオシャレに決めたかったのに、メニューにあるのを見つけてしまいつい頼んでしまった。

 

窓際のテーブル席で窓を背に座ると、カウンターで食事をしているオシャレカップルが真正面になるのでやたらと目に入る。見るからにいい女風の彼女は、時折彼氏にしなだれかかるように甘えている。まだ19時すぎだ。そして、何か面白かったのだろう、二人が笑った拍子に完全なる0距離になった。彼女は彼の膝を叩きながら笑い、彼の顎に彼女のおでこがひっついた。しばらくそうして笑いあっていた。

aikoのカブトムシってこんな感じなのかな。あなたの耳に寄せたおでこ。顎だけど。

こんなイチャイチャを見せられるなんて耐えられない。思わずうつむいて笑ってしまう。彼に、何?どうした?と問われてもこの面白さをうまく伝えられない。

悲しいかな私はお酒がべらぼうに強い、あんな風に酔うこともなければ、酔ったフリも出来ない不器用さ。正直彼女のテクニックがうらやましかった。

私たちのテーブルで交わされた会話と言えば、「最近お客さんと真面目な話してるときに私マスクの下でゴリラの真似してるんだよね」というしょうもない内容。こんなのが彼女でうちの彼は可哀想だ。

 

店員さんは全員もれなく気が利いていて、本当に良いタイミングで配膳や補充をしてくれる。そんな店員さんの動きを眺めていると、カウンターの彼女と目が合った。そのあと割とすぐに彼氏と笑われると、私のことをあざ笑ってる気がするからどうか私のことは視界から消してほしい。

 

サラダやポテトを食していると、良いタイミングでマルゲリータが運ばれてきた。

お決まりの具材が乗っている。どこで食べても後悔しない、それがマルゲリータ

食べてみると、バジルの葉の香りがいつもよりも強い気がする。もちろん良い意味で。

お店の雰囲気も相まって、かなり美味しい。二人して関心しながら食べ進める。

カルボナーラも濃厚で美味しかった。胡椒がなかなか効いていたが、終始オシャレな味だねと言い合って食べた。ほんと単純。

2杯目のお酒こそ何かオシャレなものをと思ったのに結局ジンジャーハイボールを頼んでしまった。どうしても冒険できず安定を求めてしまう。

 

お会計を済ませて外にでたあと彼に、私はあのオシャレ彼女のことを人前でベタベタ男に甘えるやべーやつって思って見ちゃったけど、オシャレ彼女はきっと私のこと、何見てんだよちんちくりん女って思っただろうね。と言った。彼は笑っていた。

きっと私の方が彼女より年上だろうに、なぜかいつまで経っても私はちんちくりん。童顔だし、身長も高くなければ手足が細長いわけでもない。中肉中背。平成生まれなのに、骨格がすごく昭和な気がする。弟は手足が長細いイマドキの骨格してるのに。

でも、幸いこんなちんちくりんでも付き合ってくれる人がいるわけだし、誰に見られても私は私と胸を張れる、心持ちだけはいい女になりたいものだ。

 

まずはマスクの下でゴリラの真似をするのをやめよう。そう決めた。

 

 

料理は誰が作るかで味が変わる

 

私は友達が少ない。

己の人格に問題があるのは小学生時代から自覚しているが、どこに問題があるのかまでは深く掘り下げて考えたことがないので友達が少ない現実だけを受け止めて生きている。

私に愛想をつかして疎遠になった人には「私もあなたに思うことはあったがそれも個性と思って受け入れていたよ、でもあなたは許容範囲を超えたんだね。どうか私の見えないところで幸せになってね。見えないところでね。」と思うようにしている。

それもあって私の交友関係はとても簡潔で、親友か知り合いかの2つに分類されるのみだ。推し関係で知り合ったとか、クラスメイトだった人なんかは知り合いに振り分けられる。

そんな希薄な関係でもSNSのフォローはし合っているので、色々な人の生活を垣間見る日々を送っている。

 

結婚適齢期をとうに過ぎた私の周りは、8割既婚子持ちだ。

話は逸れるが、私の周りでは18歳から今まで3度の結婚ブームがあった。

親友から知り合いまで招待状が来れば結婚式に行ったし、親友には必ず出産祝いを送ったりしている。

私は25歳以降の結婚になるなら結婚式はしないと決めていたし、数年前まではむしろ完全に独身でいるつもりだったので、ご祝儀を払った人たちには「65歳で定年退職したときにご祝儀と同じ額を御祝で払ってくれ。税金払ってくれてありがとうって意味で。」と伝えている。

 

そんな既婚者の方々からよく出てくるワードが「他人が作ったご飯が食べたい」だった。

コロナで子供が保育園・小学校に行けなくなり、三食作ることになってしまってからはよりその声が強まっていたように思う。

手間がかかるし、日々のタスクに昼食作りが加わるのは大変だと思う。子供相手なら尚更、簡単に済ませようと思っても毎日となると栄養面も考えてしまうだろう。

それが辛くて他人が作ったご飯が食べたくなっているんだろうなと独身実家暮らしの私は思っていた。

 

だが、どうやらその考えは違うかもしれないと思い始めた。

 

というのも、ゴールデンウィークを過ぎて以降、私は晩御飯を作るようになった。

秋からは家を出るので、家事スキルを身につけておかないと自分が困ると思ったのだ。

なんといっても節約の要は食費。食費を抑えるには今のうちから料理出来るようになったほうが良い。

それから毎晩、私は母に色々なテクニックや知識を教わりながら晩御飯を作っている。

始めたばかりの頃、母が「こうやって、台所で娘と2人並んで料理するのが夢だったんだ・・・」と心底嬉しそうにつぶやいた。その夢聞いたことない、言えなかったんだろうな。とてつもなく申し訳ない。お待たせしましたといった気持ちになった。

 

そんな日々ももうすぐ1ヶ月経つ。まだ毎日の献立は買い物を担当する母に考えてもらっているが、レパートリーも増えたし、最終的には食材の買い物や朝早起きしてお弁当も作れるようになりたいと思うのだが、既に母が作ってくれるお弁当に前の日の晩に作ったおかずが入ったりしている。

今までは、前の日のおかずが入ることなんて当たり前だと思っていたし、毎日同じおかずでも良いと思うほどお弁当に無頓着だったのだが、最近なんだかモヤモヤする。

ある日、お弁当の蓋を開けた瞬間、突然このモヤモヤがある言葉に変わった。

「あぁ、他人が作ったご飯が食べたい」

まだ1ヶ月のペーペーなのに、他人が作ったご飯が恋しくなったのだ。

蓋を開けて、昨日作ったおかずかぁ・・・とがっかりしているのだ。

 

決してマズいわけではない。味付けだって母に教えてもらって味見もしてもらっているのだから、今までと何ら変わりのないものなのに、無性に他の人が作ったおかずが恋しくなった。

これか、彼女たちが言っているのはこうゆうことだったのか?

いや、彼女たちと私では事の深刻さが違う、でも意味はなんとなくわかったのだ。

 

まったく同じ味の料理でも、手間をかけたのが誰なのかによって、美味しさと楽しみ方が違う。

母はこんなシラけた思いをしながら長い間毎日ご飯にお弁当に作ってくれていたのか。

そして、同世代にもこんな思いをしながら料理をしている人たちがいるのか。

考えれば考えるほど、今まで私がどんなに幸せだったかを思い知る。おおげさかもしれないが、これから先自分がご飯を作り続けなければいけない現実に少し絶望した。

 

ただ、この1ヶ月料理をしてみて苦手だったわけでもセンスがなかったわけでもない。

そこが救いだ。それでも面倒なことに変わりはないのだけれど。

出来れば私は洗濯だけ担当したい。そうはいかない。どう考えても早出も残業もない私が料理を請け負ったほうが無駄がない。

 

料理は誰が作ったものなのかによって、味が変わる。

月に一度は彼に料理を作ってもらう日を設けようと思う。でなければ私は早々に実家に帰ってしまうかもしれない。

 

 

銀の詰め物の耐用年数は5~7年らしい

 

8年ぶりに歯医者に行ったあと、後日私は仮の詰め物を新しい詰め物にするべく仕事終わりに歯医者へ向かった。

仮の詰め物になるまでの話はこちら。

yose1-yolo.hatenablog.com

 

またもや私は麻酔を断れず、奥歯に麻酔を打ったのに唇にばかり効いてしまうという謎の現象に見舞われてしまい、結局最後の削る治療では結構な痛みすら伴ったがなんとか終わった。稀にそういう体質の人がいるらしい。

他にも詰め物の下に虫歯の進行が見られる箇所があるらしく、次回はその治療をしましょうと言われ、内心トホホだったが麻酔で麻生太郎のようになってしまった口元をマスクで隠し、待合室へ戻った。

名前を呼ばれ、会計へ行くと受付から「よっ!!」と声を掛けられた。

ふっと顔を上げると、中学の同級生がナース服を着てそこに立っていた。

向こうはカルテを見てるからわかるのは当たり前だが、私は相手がマスクをしているのにすぐ誰かわかったことに我ながら感心した。

この歯医者で医療事務をしているらしい。初回である前回はお休みだったそう。

虫歯の治療で通う先に同級生がいるのは気まずい。歯科衛生士ではなかっただけ気が楽だが。

院長にでもなってりゃ歯ブラシタダで貰うとか出来るのにな~なんて思いながら帰路についた。

 

そして2日後、次の治療のために再び来院した。こういうのは早くやっつけてしまいたい。来月にまたぐと初診料かかるし。

早速詰め物を外して虫歯の治療をしてもらう。麻酔の有無を聞かれたが、効かなかったので使わないことにした。痛かったら違う種類の麻酔を使いましょうということになった。

そして治療。思ったよりも深くまで進行していたらしく結構削られる。正直痛かったが、痛みに強いで定評がある私。まだまだいける。

先生は、「大丈夫?ほんとにこれ大丈夫?」と聞いてくれる。首を縦に振るのは危ないかと思い、「ふぁい(はい)」とだけ答える。

途中からサポートに入ってくれた歯科衛生士さんが、「えっ?!これ麻酔なしでやってるんですか?!」と驚きの声を上げた。私の奥歯はどうなってるんですか。そんなに深いのでしょうか。

色んな事を考えていたらいつの間にか治療は終わっていた。先生と歯科衛生士さんの称賛の声を背中に受けながら口をゆすいだ。

詰め物は同じものを流用できたので、次回は次の気になる詰め物の下を治療しましょうということでその日は終わった。

また来週にでも行こうかな、と思っていた。

 

そして一昨日の土曜日、私は昼前に起きて肉うどんと、白ご飯にゆかりをかけたものを用意して食べ始めた。

私はゆかりが大好きだ。もう何年も平日の朝ご飯はゆかりの混ぜおむすびと決めている。 

三島 ゆかり 200g

三島 ゆかり 200g

  • メディア: 食品&飲料
 

 ゆかりご飯を口に入れる。あぁ、美味しい・・・毎日食べている、食べ飽きてもおかしくない味なのにゆっくりと味わっていた。するとゴロッと何かが口の中で転がった。

上の一番奥の歯の詰め物が取れた。

何故、何故なんだ。しかも今までよりも断然大きい詰め物だ。先週取れた下の奥歯とは比べ物にならない違和感が口の中にあった。

なんでだよ、なんで毎回週末に取れるんだよ。

それに、私の口の中の詰め物たちは全て同時期に一気に治療したのでまだ数カ所ある。これ、毎週順番に取れていくの???

思わず「詰め物 銀 耐用年数」で検索した。5年から7年らしい。

8年経ってるから仕方ないのか。いや、こんなの納得したくない。

 

そんな憤った気持ちを抑えながらも、取れた詰め物があまりにしっかりとした奥歯の形をしていて面白かったので写真を撮って彼にLINEした。

そして、歯医者は17時までやっているが今からシャワーを浴びなければ到底家を出れないこと、職場近くの歯医者なので自宅から40分かけていかなければ行けないので今日では無理だということ、月曜まで口の中に違和感を抱えたまま過ごす不満を話した。

すると、夕方早めに仕事が終わるから送ってくれるというのだ。全く想定してない提案だった。優男か。

日曜と月曜の日中まで続くこの違和感と天秤にかければ、今から行く方が良いと思いお言葉に甘えることにした。

そして迎えにきてもらい、1時間くらいで終わるなら待っとくよとまで言ってくれた。普段仕事終わりで行くと1時間くらい待つから、長くなりそうだったら帰ってくれていいからねと伝えて歯医者へ向かう。

待合室には結構人がいた。これは1時間では無理か・・・

同級生が受付にいたので、「どんくらい待ちそう?」と気軽に聞けた。同級生が居るのもなかなか良いかもしれない。「次の次には呼ばれるけすぐだと思うよ」と教えてくれた。まさかの次の次、この待合の人たちは何を待っているのか。

現状報告のLINEを入力しているところで、早速呼ばれた。個室が多いので次の次が早かった。

 

そして早速治療してもらう。前回の続きかと思ったら違う歯の詰め物持ってくる私に驚いていた。外れた歯は詰め物の大きさからわかっていたがかなり削ってあり、さらに削る必要があった。ほんともう虫歯キライ・・・

麻酔は断った。かなり削ってあるから痛みは覚悟の上。事実かなり痛かった。でも耐えれないことはない。

先生がしきりに褒めてくれる。「ほんとがんばり屋さんだよ~」アラサーにもなるとこんな言葉で褒めてもらうことはない。照れた。

仮詰めをしてもらって、新しい詰め物の仕上がる日を教えてもらう。時計を見るとまだ1時間も経っていなかった。

全てがトントン拍子で上手くいった。詰め物が取れるところ以外。

 

1時間以内に終わったので彼に自宅まで送り届けてもらえた。本当に感謝しかない。

 

帰宅して、冷たいルイボスティーを飲む。(私は家でルイボスティーしか飲まないオシャレ人間だ) すると奥歯に激痛が走った。

仮詰めした歯が痛い。しみるのだ。こんなことってあるのか。すぐさま検索したし、人生の先輩である母親にも聞いた。たまにあるので心配ないらしい。

たまにあったって私は初めてだから辛い。冷たいもの、甘いものがとにかく痛む。歯磨きも痛むのが厄介だ。綺麗にしたいだけなのに。

 

歯医者へは水曜日に行く予定だ。それまでこの独特な痛みに耐えなければいけない。

 

2度あることは3度ある。今のところ隔週で詰め物が取れている。繰り返すとしたら再来週だが、何がどうなるかもうわからない。今週末が怖くて仕方がない。